今日は父の日ということで単独で遊びに出させてもらったので少しメンタル面では心地よい感じです。


 ということで、タイトルに書いた辺りについて思うところを書いていくよ。



 仕方がないことなんだけど、何かしら新たなことをやるとき今まで通りから外れることもたくさんあるし、人間には現状維持バイアスがあるのでノウハウの有無に関わらず今までと違うやり方に関して否定的な態度をとる人は80%程度いるかと思う。

 ただ、ノウハウがあったにしてもそのノウハウ通りにやらないことに対して、能力、努力、苦労の不足を理由に責められたり責めたりすることはないでしょうか?

 そういった責め句を言われたことのある人が大半なんではないかと思います。けれど、最低でも苦労は望んでしたとしても他人に強いられないようにする必要があります。

 強いられた努力、苦労は恨みのパワーを生みます。恨みのパワーはいい方に活用するのがとても難しいです。誤解されがちですが恨みと怒りは明確に違いがあります。恨みは自己否定がベースとなった感情で、自己否定状態で考えついたアイディアは、他者の自己否定を前提にしたものになりがちです。

 一方怒りは、自身が正しいと認識していることから外れたことに関する自己肯定がベースとなった感情です。



 勘違いしやすいですが、多くの方はその辺の定義を曖昧にし恨みを怒りと勘違いしてひと括りに怒ってるとか怒られたとか言います。その辺りの自己分析と判断能力を欠いていると、恨まれていることが原因の話に怒りを向けられたと勘違いし結果自己否定をします。

 しかし、向けられた感情が怒りだった場合、冷静に状況分析すると言い分に一理ある、ないしこの人の方が正しいやんって思えるようになります。もし状況を冷静に分析しても言い分は理不尽だと感じた場合、向けられた感情は例外なく恨みなんです。

 この前提で考えると、世の中どれだけ責められても怒り以外はまともに受け止める必要がなく、むしろ恨みには耳を貸さないように徹底するとともにそれが判断出来るようにならないといけません。そのための近道として自身が恨みをなるべく使わず、怒りをコントロールする術を身に付け、可能な限り人を恨まぬよう自身に事象の原因を探し改めるのがいいです。

 感謝と自己肯定が結びつかない行動はほぼすべて納得いかないかと思います。怒りをコントロール出来るようになれば、納得いかないこと以外のネガティブな情報は概ね全て感謝と学びに昇華できるかと思います。

 協調性とは無縁の一見すると身勝手な考え方に思えるかもしれません。けれど、自身を身体を家族を守り抜こうと思えば、いつも言ってる通り自身の見解を持ち、心だけはスッキリ風通しよく、それが後々の健康に、はたまた日本社会を変えていく原動力になるかと思います。


 さて、それでは今日はここまでです。明日もいい日でありますように。