yammoのブログ
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お参りに考える人間の行動心理

今日は、箱根にある九頭龍神社に

お参りにいってきた。


何でも仕事面での祈願成就に効果があるとかないとか。

友達に誘われたので、よく知らないままついていった。


今までは、

人並みの信仰心で、

毎日神に祈ったり、

行動を制約したりしないものの、

そういった場所に行けば、

周りの人と同じく、

頭を下げて、

お賽銭をして、

心の中に願い事を挙げては、

その成就を神様に願っていたものだった。


今回も同じく、

お祓いの経(?)が読まれている間、

周りの人が頭を下げているので、

自分もあわせて頭を下げてみたものの、

なんだか馬鹿らしくなってきてやめてしまった。。。


神様にお祈りするという行為が非常に非科学的かつ、

論理的でないことに思えたのだ。


なにも、神様の存在を否定しているわけでもなく、

宗教や信仰心の価値をけなしているわけでもない。


神様という超自然的なものの力の存在を信じ、

それに対する加護が受けられると思い込むことが、

プラシーボ効果のように、その後の人の行為に

プラスに働くのであれば、それはいいことだと思う。


ただ、何でもかんでも超自然的なものにその結果の

要因をおしつけていてはその人自身の成長には

つながらない。


失敗した時に、その結果は運が悪かったから、

神様へのお参りが足りなかったから、ということにして、

本当の要因を探らなければ、また同じ失敗を繰り返すことに

なる。


結果はそのプロセスにある1つ1つの行為に

原因を追及することができると僕は思う。


逆に言えば、そのプロセスの中の1つ1つの行為に

自信が持てれば、結果は必然的についてくるものだから、

超自然的なものに頼らなくて済むのだと思う。


ばちあたりな考え方かな。。


お参りの人は大半が女性だったのだけれども、

それも興味深かった。

女性は占いとか好きだよね。

なんでそうなんだろう???

何かのヒントになるかなぁ。

ながら勉強

今日は予定がなかったので、

いつものように書店をぶらついた。


いつものように座り読みで済ませようと思ったけど、

気分転換をしたかったのと、

じっくり読みたい本が見つかったので、

購入して喫茶店で読むことにした。


喫茶店で読み物をする&勉強するのは、久々。

半年前に1人暮らしを始めてからはしたことがないな。


買った本は、

「5年・10年・15年長期投資のすすめ」by石橋省三

レビューは後日書こう。


さあ、一気に読み切るぞ。

と意気込んでみたものの、なかなか読書に集中できない。


周りのガヤガヤとした声が気になる、気になる。

シャットダウンしようと音楽プレーヤーで

音楽を聴くと、今度はその音楽が気になる。


必死に集中する策を見つけようとするものの、

結局集中しきれないことが嫌で、

30分ばかりで喫茶店を出てしまった。


なんでだろう?

大学受験時代や大学に入ってからのテスト勉強は

あれほど頻度高く、ファミレスや喫茶店で勉強をしていたのに。。


よくよく考えてみると、

物事への取り組み方の姿勢(質)が変わったんじゃないかなぁと思う。


ながら勉強をするのは楽だ。

テレビをしながら勉強する。

音楽を聴きながら勉強する。

喫茶店で勉強する。


喫茶店での勉強していれば、いろいろな誘惑がある。

・仕草が変な人がいる

・可愛い子が入ってくる

・カップルが痴話ゲンカをしている

どれも気になって見入ってしまう。


時折休憩をはさむことで苦痛を感じず勉強ができる。

でも、冷静に我にかえって、どこまで進んだかを確認してみると

まるですすんでいない。。。


学生時代の僕は上のことがうすうすわかっていながらも、

どうしても勉強の苦痛から逃れたくて、

上であげたような勉強をしていた。


最近勉強する時は、

自分の部屋で周りの音という音は一切遮断して、

読書するようにしている。


その方が集中力が増して、読書のスピード量が違うからだ。


そういった勉強の仕方がクセになった自分は、

「ながら勉強」を自然と拒否するようになったんだろうなぁと思う。


頭のギアをニュートラルにして、雑誌をパラパラ読むみたいな、

アップ&クールダウンには適した場所なんだろう。

喫茶店で勉強することはもうないだろうな。

アウトプットの重要性

会社の帰りに本屋に寄った。


ここ最近、暇を見つけては本屋に足を運ぶようになった。


活字嫌いで読み始めるとすぐ眠くなり、

半分どころか数十ページさえも読み終わることが

できなかった自分が不思議なぐらい、

読書に渇望している。


いつものように気になる見出しのある本を手に取り、

パラパラと目をやる。


週刊ダイヤモンドだったろうか。

その中の特集で勝間和代さんの読書に対する考え方や

今秋読む予定の本などが特集として十ページほど掲載されていた。


1ヵ月に何十冊と読み漁り、十万円以上のお金を

読書につぎ込んでいることにも驚いたが、

一番目を引いた言葉が、

「インプットとアウトプットは半々ぐらいが丁度いい」

という言葉。


今まではインプットばかりに目がいき、

アウトプットはあまり気に留めてこなかった。

というより苦手だった。


アウトプットはただ字に残すことだけではないとも書いてあった。


行動に移す。

自分のことに置き換えて考える。

日記に書く。

人に話してみる。


これだけ様々なパターンがあれば、安心だ。

小さなことでいいから、何かしら実践に移すことが重要なのだ。


再度繰り返すが、アウトプットは苦手だ。

この日記も書きながら、辟易しながら書きすすめている。


自分の書く日記に満足できなくて、

書き続けることにおっくうさを感じて、

何度3日坊主になったことか。


この日記もいつまでつづくだろう。

と既に心配。


最近、ドラマが始まった「夢をかなえる象」。

その本の中には、「人は楽しいと感じることしか長続きしない」

と書いてあった。


「楽しい」とまでは感じなくても、

その行為の目的、その行為から得られる成果をちゃんと

理解していれば、長続きするものと信じてる。

いや、祈ってる。


読書と同じく、

ブログを書き記すこと、

日々アウトプットを続けることも

習慣化できるように。