裁断橋と都々逸 | 闇の杜倒れ

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趣味と不利益のどろどろ日記。


本日仕事の打ち合わせ途中で


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こんな所にあったんだ~♪

オイラが小学生の頃、道徳の本に載っていた物語。

その昔、堀尾金助と言う齢十八になる息子が戦に出る折、母がこの橋で金助を見送った場所であり、無事を案ずる母の想い虚しく、金助は戦場で病死しまう。

息子の菩提を弔うために三十三回忌に、私財を投げ打ってこの橋を架け直したと言うお話。

場所は熱田の宮宿のはずれ、嘗て熱田の神官が禊を行ったと言われる「精進川」と言う川に架けられた橋であり





その橋の四隅の擬宝珠に、息子の供養の為にこの書付を見た人は念仏を唱えて欲しいと刻まれている。

現在擬宝珠レプリカが置かれており、本物は名古屋市博物館に保管してあるのと、嘗てあった精進川も曲がりくねった川筋を、水害防止の目的で1920年に新堀川を開削した折に埋立てられてしまっている。

そう言えば、小学生の頃から今は無き「精進川」は何処にあった、どんな川なのか知りたかったので…



※今昔マップより


古地図をひっぱり出してきて見てみた

明治21年~31年の地図ではその姿は残っており、どうやら赤い矢印のところの川が精進川であり、東海道で架っている橋が嘗ての裁断橋のようだ。



※今昔マップより


ココから大正9年(1920年)に作成された地図になると、黄色の矢印の「新堀川」が載っている。

この後は完全に埋め立てられ、裁断橋も近くではあるが、今の場所に規模を小さく裁断され残される事になるのか~。

う~ん…どうも川を埋め立ててしまうと言う行為は、あまり好い気はしないし勿体ないな~…

と昔から思ってしまうのだ(笑

それはそうと…





都々逸が名古屋発祥だとは…ハジメテシッタ!

都々逸と言うのは、言葉の音節を「七 七 七 五」の二十六音で綴られる定型詩であり、その歯切れの良い音節により、現代の歌詞にも度々現れる。
※詳しい内容はウィキさんで(笑

有名どころでは…

伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は 城でもつ

とか

散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする

とか

更に

カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは 文○堂~

これも字余りだが都々逸の節を汲む詩であると言える(笑


その昔、名古屋は様々な文芸発祥の地とも言われたらしいが、自分がタマに言葉あそび的に使っている都々逸もそうだったとは…

露とも知らず。

つう事で


仕事の途中で 道草食えば 裁断された 橋(話)に尽く


打ち合わせの約束の時間に10分遅刻しました