ごんぎつねの里に行って来た。
新美南吉のごんぎつねの舞台は、愛知県知多半島の根元付近に位置する半田市にある。
知多半島は南北に細長い半島で、中央に丘陵地、その西と東には農耕地が拡がり海沿いに街のある地域。
大きな河川の少ない半島で水の確保には厳しい土地柄ではあるが、溜池等の整備で昔から農業の盛んな地でもあった。
正面に見えるのがごんぎつねが住んでいたと言われている権現山。
権現山は市街地に程近い場所にある小高い丘…と言う感じ。
此方から見るとこんもりと木の繁った山だけど、中に入っていくと裏側は細い路地の入り組んだ果樹園や宅地になっていており
そんなこんなで、ここにたどり着くまでにかなり道に迷った(笑
神社の駐車場に車を止めたは良いがそこは全く違う神社。
ごんの居る五郷社はそこからまた細い路地を迷い道くねくね。
車も通れる道を真直ぐ行けば直ぐに付いただろうに(笑
わざわざ狐に抓まれたかの如く遠回り…ま、お陰で裏道散策が出来たから良いとしよう♪
御殿様が住んでいた中山と言うのは一枚目の写真を撮った辺り。
そこから少し離れた山の中、ごん狐の住んで居た羊歯の生茂った森は此処ですか?
強い日差しの中を歩き回った後、鬱蒼と木の繁った境内は何故か風通しが良く、汗だくの体を少々冷やしてくれた…が

はうっっっ!
風があっても再び汗だくになりながらひぃこら登り、権現山の五郷社の頂上にはまたごん狐が居た。
ちょっと無骨だが(笑
頂上からの眺めを期待したが、木が鬱蒼と茂って叶わず。
未だに田んぼが拡がる場所で、のどかな田舎の風景は少しは残っている。
ここで、地図フェチが…(笑
1920年頃の地図を見ると良く解る。
左上のオレンジ色の一帯、丁度尾根の先の辺りが権現山。
南吉の時代には里山もまだまだ残っていて狐もちゃんと居たのはこれを見ても良く解る。
ここから狐が消えたのは昭和40年代。
丁度高度成長期。
当時はかなりの里山も切り拓かれ、田畑にはネズミ駆除のための薬や農薬。
棲みかを追われたのと、それら薬の誤飲によってこの地から狐が消えたと言う。

で、2000年頃の地図を見ると随分な変り様。
しかし、狐が姿を消してから三十年経ち、再び狐の目撃情報がチラホラ。
この地に狐が戻って来た…と言う本格的な噂は去年聞た。
そんなこんなで、今年の五月にはとうとうここから程近い、峠を越えた西の裾で狐が捕獲された。
ごん狐の里にごんが帰って来た!
と言う見出しで喜んでいたが…
確かに嘗て居た野生動物が帰って来た事は凄い事だしいい事だとは思うが、果たして手放しで喜ぶべき事なのだろうか?
帰って来たのは放置された田畑が殖えたのが原因だと言う。
決して環境が良くなったからでは無いことは、そこに手放しで喜べない理由があるから。
未だに人は
ほんとうに人間はいいものかしら?
の母狐の疑問に即答出来るとは思えない…。
とは言え、この地には誰もが親しんだ物語に即した場所が随所にある。
お城の屋根が見えるという、村の墓地にあるごんが隠れていたと言う六地蔵も見てきたけれど、権現山からはかなりの距離。
しかも……
あ、あれ?
六道どころじゃないんですが………(汗
一枚目の写真の手前には、兵十が鰻を捕っていただろうと言われる矢勝川。
これからの季節200万本もの彼岸花が咲き乱れる名所。
とてもじゃないが相当な人出らしいので見には行けない…と言うか行きたくない(爆
まぁ、ごんぎつねのみならず、物語の断片を紡ぎながらアチコチ徘徊するのも中々面白い。
もう少しのんびり歩いて見たいけど
今度行くのは冬かな~