特定危険指定暴力団「工藤会」の歴史

2021年8月24日福岡地裁で特定危険指定暴力団「工藤会」の総裁である野村悟被告(74)に対し死刑、ナンバー2の田上不美夫被告(65)には無期懲役の判決が下されました。ここでは、野村被告や田上被告が属する工藤会の歴史を振り返っています。

工藤会とは
工藤会とは、福岡県北九州市に本部を置く暴力団。2012年の改正暴対法に基づき「指定危険暴力団」として指定されています。
「指定危険暴力団」とは、指定暴力団のうち対立抗争状態にあり、市民の命や身体に重大な危害を加える恐れがあるとして都道府県公安委員会が指定した組織を言います。
工藤会の構成員は2020年末時点で約270名、準構成員が約250名で主に福岡県、山口県、長崎県、そして近年では首都圏も活動地域にしているようです。その勢力は北九州地区最大とも九州地方最大とも恐れられている暴力団組織になります。
工藤会は戦前の小倉で結成された博徒組織で、初代の会長が工藤玄治でした。工藤会は九州ヤクザの典型だとも言われ、強烈な反警察志向で容易に激昂し、手段として闘争するのではなく、闘争行動それ自体に価値を見出す組織として扱われていたようです。特に、2012年には「今、最も先鋭的な武闘派組織として知られる団体」として報じられました。
武闘派として知られる暴力団組織は数々あれど、北九州を本拠とする「工藤会」は群を抜いた存在だと暴力団関係者からも一目置かれていたようです。
工藤会の資金源は、俗に言うみかじめ料の要求や違法薬物の密売、公共工事などの不当介入だけに留まらず、一般的な商取引や経済取引などの介入も含まれていました。
また、勢力範囲についても地元の福岡県をはじめ長崎県、山口県まで広げているほか、2014年には首都圏の千葉県、東京都までに足を延ばし事務所を構えています。
構成員は直近の2019年9月時点で約300名のうちおよそ半分の150名が拘留、あるいは刑務所で服役中であることが朝日新聞により報道されています。
また、日本の評論家でありノンフィクション作家の宮崎学氏によると、福岡県警の工藤会壊滅作戦により、活動範囲が狭まってしまい生活の基盤が崩壊してしまった末端組員は難民化し、自殺を選択する者も出ているということです。

工藤会の主なやり口
・大型工事を北九州地区でやる場合、建築が1%、土木が1.5~2%、解体工事が5%のみかじめ料を工藤会に持参しなくてはならない
・みかじめ料を断った健康センターにネズミ駆除用殺鼠剤を投げ込み150人を超す人が中毒症状になった
・土地問題で揉めた相手に対し散弾銃を発砲
・県警本部の目と鼻の先にあるレストランを発砲
・クラブ襲撃事件では店で働く女性12人が重軽傷を負う
・暴力団排除の標章制度が始まると無差別に襲撃して多くの人が負傷

工藤会総裁に死刑、ナンバー2に無期懲役の判決
数々の卑劣な犯罪を繰り返してきた工藤会ですが、今回(2021年8月24日 )の裁判となった事件は次の4件になります。
・1998年2月元漁業組合長射殺事件
・2012年4月元福岡県警警部銃撃事件
・2013年1月看護師襲撃事件
・2014年5月歯科医師襲撃事件
このうち、一人が死亡、三人が負傷しています。いずれの犯行現場にも野村被告、田上被告の存在はなく、事件関与の直接証拠は認められないため弁護側は無罪を主張。しかし、事件の実行者には有罪判決が出て一部は確定しています。
その後の裁判では、元漁業組合長射殺について「野村被告が首謀者として犯行を指示した」と指摘、実行役らとの共謀を認定しています。
さらに足立勉裁判長は「利権獲得目的で一般市民を襲撃して殺害するという犯行は極めて悪質」と指弾。他の3件についても「組員が無断で事件を起こすとは到底考えがたい」と判断、「動機に酌むべき余地は皆無。体感治安が著しく悪化するなど甚大な社会的影響が生じた」と述べました。
そして、「犯行は極めて悪質で、極刑の選択はやむを得ない」と野村被告に死刑を言い渡し、田上被告には無期懲役(求刑無期懲役、罰金2000万円)の判決が下されたのです。

裁判退廷時の野村・田上両被告の声掛け発言
今回のように刑が重い裁判では裁判長が判決理由を述べますが、野村被告は裁判長が判決理由を述べている間、淡々とした表情だったようです。ところが、「4つの事件で共謀を認めるものである」と述べられた際は首をしきりに傾げていたと言われています。
そして退廷時には裁判長の判決に対し野村被告は「こんな裁判あるんか!」「公正な判断をお願いしたんだけど、全部推認、推認。全然公正じゃない、あんた生涯後悔するよ」
また、田上被告は「ひどいな、あんた、足立さん」などと声を掛けています。
その際、足立裁判長は野村・田上両被告に対して毅然とした態度で「退廷してください」と2回求めています。
足立裁判長は2019年の初公判から今年の3月の結審まで計62回も担当、その後東京高裁に異動していますが、この日は福岡地裁に出張して判決を読み上げているのです。そして、野村等に「東京の裁判官になってよかったね」と地元の裁判官ならば報復するぞと言わんばかりの恫喝をされています。このような事態から野村・田上両被告は足立裁判長及び家族に危害を加えるのではないかと懸念されています。
後に、これらの発言に対して野村被告は「公正な判決ではなく、裁判官としての職務上、生涯後悔するという趣旨だった」と弁明し、脅しや報復の意図は否定していると弁護団は説明しています。

証拠の積み上げ
野村被告が首を傾げたのは、おそらく自らの直接的な証拠がないにも関わらず死刑を宣告されたからだと思われます。
その陰には検察側の並々ならぬ苦労があったようです。検察側は野村・田上両被告の事件関与を立証するため約90人に対して証人尋問を行い間接的な証拠を積み上げました。その結果、工藤会のような組織は上位者の指示がない限り下の構成員が勝手にやることは許されないと判断。
たとえば、今回の漁業組合長射殺事件では、港湾事業に影響力があった元組合長とその孫の歯科医師が襲撃されています。この事件の背景には港湾事業に介入したい両被告の思惑があったと説明。
また、元警部の銃撃事件については福岡県警に対する捜査の不満、看護師襲撃事件では野村被告が受けた下腹部の手術を担当していた看護師の対応に不満を抱いていたことが動機だと主張しています。
これに対し弁護側は、主要証人の証言を「虚構か、歪曲(わいきょく)された可能性が大きいと全面拒否、「検察は独善的な推認に終始した」と反論していました。
ところが裁判長は、工藤会は上位下達が大変厳しい組織性があるとして上記4事件が計画的かつ、組織的に行われたものとして野村・田上被告を首謀者として位置付けたのです。

声掛けは以前にも行われていた
今回の裁判では野村・田上両被告が裁判の退廷時に裁判長に声を掛けたものですが、実は工藤会の組員が裁判後に声を掛ける事件は以前にもあったのです。
それは工藤会の幹部の裁判を裁判員裁判で行われた2016年5月10日に起こっています。
裁判員裁判とは、刑事事件に国民から選ばれた人が裁判員として参加する裁判になります。そして、この裁判で裁判員をしていた女性が元工藤会組員の男2人に初公判の後、バス停で会い同じバスに乗り「あんたらの顏は覚えとるけね。」「ある程度の刑は決まっとるんやろ」などと声をかけられたと言います。もちろん、この男等は工藤会幹部の知り合いであることから裁判員に対する請託や威迫とも受け取れます。その後、女性裁判員は「報復されたらどうしようと怖かった」と言い、2日後の被告人質問では恐怖で質問もできなかったと訴えたようです。これは、事件として取り扱われ刑事裁判に関する法律違反として執行猶予付きの有罪判決が下されています。
そのためか、今回の野村・田上両被告の公判では裁判員らに危害が及ぶ恐れがあるとし裁判員裁判の対象からは除外されています。

工藤会トップ野村悟の人となり
野村悟被告は1946年福岡県北九州市小倉北区に兄が3人、姉が2人の末っ子として生まれています。実家は農家の大地主で田畑や山林を多数所有していたようです。当然、実家は裕福なのですが何故か、幼い頃から悪童として有名。10代の頃から賭博場に出入り、中学時代には窃盗などの罪で少年院に送致されています。
その後、20代で工藤会、田中組の舎弟になるものの裕福な家庭で育ったにも関わらず、ヤクザな世界で成功できたのもやはり実家の莫大な資金力でした。もちろん、結婚もして子どももいるようですが詳細は不明です。また、ある情報によると、野村被告の妻が元政治家の松本龍さんの義姉ではないかと言われています。(松本さんの妻の姉)
また、野村被告は商才にも恵まれ自ら賭博を開帳しており、一晩で2憶円を荒稼ぎしたこともあるようです。そのためか、ヤクザになってもトントンと事が運び、挫折を味わうことなくトップに立っています。何もかもが自分の思う通りになる、そう思った野村被告は人生の頂点に立てたと思ったのでしょう。相手がカタギだろうと警察だろうと容赦なく襲撃しています。親から譲り受けた遺産は数億円だろうと推測されますが、それだけで十分遊んで暮らせるのにという考えはなかったようです。
現在、野村・田上両被告の裁判長に対する発言を踏まえ、組員を通じて関係者を脅すなどして証拠隠滅を図る恐れがあるため弁護人意外との接見を禁止されています。
しかし、無鉄砲な若い組員が総裁である野村被告を慕うあまり裁判長に復讐しようとするかもしれません。
また、8月25日には判決を不服とした野村被告が控訴したという情報もあります。