●半グレ軍団「関東連合」元幹部 柴田大輔(工藤明男)の生涯

本格的な寒さが訪れてきた2021年11月28日、半グレ軍団「関東連合」の元幹部である柴田大輔氏の死亡が確認されました。

死因は警察の調べでは「自殺」とされていますが、現時点で詳細は明らかにされていません。

関東連合というと、「六本木クラブ襲撃事件」を思い出す人もいることと思いますが、柴田氏はこの事件にかかわっていたのでしょうか。
今回は、柴田大輔氏の生涯を追ってみました。

●半グレ軍団「関東連合」と柴田大輔の関係

「関東連合」とは、主に1973年~2013年にかけて存在した暴走族です。
その活動範囲は渋谷、六本木、西麻布、新宿等で地下社会の勢力を誇っていました。

「半グレ軍団」は、通常の暴力団ではなく、暴力的な犯罪を行う集団として扱われています。
そんな半グレ軍団「関東連合」と柴田氏は、なぜ結びついたのでしょう。

●柴田氏の生い立ち

小学校高学年位から素行が悪かった柴田氏はなるべきして不良の道をたどります。
不良の道をたどっているうちに関東連合の前進である暴走族グループ「宮前愚連隊」に所属。

そこで、関東連合のメンバーである永福町ブラックエンペラー22代目総長の見立真一や松嶋クロス、石本太一、東京の不良で有名な瓜田純士と知り合うのでした。

●柴田大輔氏と六本木クラブ襲撃事件

関東連合というと今から約10年前に起きた「六本木クラブ襲撃事件」を思い出す人もいるでしょう。
この「六本木クラブ襲撃事件」とは、2012年9月2日に東京都港区六本木にあるクラブ「フラワー」で客として来ていた藤本亮介さん(当時31歳)が関東連合のメンバーに襲撃され殺害されてしまった事件のことです。

犯行を起こしたのは関東連合のメンバー10人で、主犯格である見立真一氏は未だに捕まっておらず現在も国際指名手配となっています。

この事件がなぜ、これほど騒がれたのかというと、ただ客としてクラブで飲んでいた藤本さんを人違いで殺害してしまったからです。

そして、関東連合の犯罪というとこの事件が持ち出されますが、今回亡くなった柴田氏はこの「六本木クラブ襲撃事件」には直接的には関与していませんでした。


●柴田大輔の生い立ち
柴田 大輔氏は1979年5月24日生まれの享年42歳です。
東京都調布市で実業を経営していた父親と在日韓国人2世である母親の下で生まれました。
決して生活水準が低いわけではない家庭でしたが両親の仲は悪く、そんな環境で育った柴田氏はやがて素行の悪い不良少年として染まっていきました。

柴田氏は14歳で初めて逮捕され少年院に入り、8ヶ月後に退院しています。その後、坂道を転げ落ちるように悪事を繰り返し、関東連合に連なる暴走族「宮前愚連隊」に所属し8代目総長となります。

その頃から、不良の頭角を現し次々とヤクザも顔負けと言われるほどの残虐な犯行を繰り返すようになるのです。

●柴田大輔氏が関与した事件

柴田氏の身長はおよそ150㎝ほどだと言われています。しかし、腕っぷしは強く頭もきれて商才もありました。

そんな柴田氏が関与したと思われる事件は数えきれないほどありますが、1996年2月に敵対するチームの自宅を襲撃して逮捕。 

更に別件で、敵対チームの集会に紛れ込んできた暴力団関係者を暴行して送検されています。

1997年には関東連合の集会で暴走したバイクが一般人を死なせてしまう事故が発生。この事故の主犯も実は柴田氏ではないかとも噂されています。

同97年の7月には死傷者が出る乱闘事件に関与していますが、先に知り合った大物、多田達也氏(仮名)知り合いに3ヶ月かくまってもらっています。しかし、後輩に潜伏先を警察に通報され、逮捕されたのが10月で特別少年院送致となっています。

2000年3月に少年院を退院しますが2ヶ月後には後輩の運転する車で禁止されている場所でUターンしたことを注意した男性を暴行し傷害事件として逮捕。

更に、その事件の2~3週間前に敵対するグループのメンバーを車のトランクに拉致したということで暴行罪と逮捕監禁罪の容疑もかけられています。 

この事件では有力刑事弁護士の尽力で逮捕から1ヶ月後に執行猶予付きの有罪となりましたが社会に復帰しています。

●柴田大輔の著書「いびつな絆 関東連合の真実」

柴田氏はペンネーム「工藤明男」として何冊かの本を出版しています。
特に「いびつな絆 関東連合の真実」は累計27万部のベストセラーとなり世間を騒がせました。

柴田氏の書いた本には、関東連合が勢力拡大した過程や関与したと言われる「朝青龍事件」同じく「市川海老蔵事件」の真相、また「六本木クラブ襲撃事件」の背景などもありました。
ただ、この本を書いたことで「殺す」「ガラを取るぞ」などと毎日のように脅されていたと取材に答えています。

その後は本名を明かし、執筆活動を続けメディアへの出演もこなしていたようです。

●柴田大輔氏と関東連合の決別

いくつもの残虐な事件を繰り返した柴田氏ですが、その後は起業し、連結売上が40憶円ほど、抱える従業員も80人ほどの実業家になっています。

しかし、2010年11月の「市川海老蔵暴行事件」を機に関東連合に対する社会の目が厳しくなり、柴田氏は個人所得があるのに不動産の審査が通らず証券会社の口座が止められた事で、社会からの疎外感を覚え事業意欲を失ってしまったと言います。

そのせいなのか、一時的にハワイに滞在していたこともありハワイから帰国した直後に「六本木クラブ襲撃事件」が起きます。

この事件は、本当は反関東連合グループとして有名な木村兄弟の弟、木村孔次郎氏
を狙ったものと言われており、その人物と特徴が似ていた藤本さんが殺害されてしまったのです。

事件が起きた夜、柴田氏は見立氏と、その後輩が運転する車内で会っていたといいます。その時の会話で見立氏が「自分が実行犯である、最初の一撃を加えた張本人である」と聞かされます。 

そして、「下の3人に罪をかぶらせて終結させる、「自分はしばらく海外で隠れる」と宣言され逃亡のための資金を援助するように提案されたようです。

提案に疑問を感じた柴田氏ですが、本事件の実行犯であり見立氏の同級生2人のメンバーと弁護士を交えて相談に乗ることになります。

この話し合いで同級生は「逃亡せず、人違いで襲った事を認め殺意を否定して傷害致死で減刑を狙う」ことになったのです。

しかし、この内容に納得がいかない見立氏は
「下の3人だけに罪をかぶせて同級生の実行犯と自分は逃亡する」という方針を申し出ます。

ところが、同級生は警察に出頭、見立は激怒して「裏切者は許せない、裏切者を支援する柴田も許せない」、「同級生の供述を覆せろ」と脅迫します。

その後も見立氏は、暴力団の名前を口に出し「同級生の供述を覆さないと柴田を殺す」と柴田氏を脅迫した事から、柴田氏は嫌気が差したのか関東連合との決別を決心。

そして、その後からペンネームを「工藤明男」として関東連合のノンフィクション暴露本「いびつな絆 関東連合の真実」を出版したということです。

●柴田氏の死因
柴田氏が自宅で亡くなっているのが知人によって確認されたのが11月28日のことです。発見当初は、精神安定剤を服用していたことで、衝動的に自分で自分の身体を切りつけたのではないかと言われており、自殺の可能性が高いと思われていました。

しかし、死亡する3日前には「工藤明男」名で『俺の足の口具なさは。異常!是非嗅いでてみならば?』と意味不明のツイートをしていて、その文章がおかしな内容であること、自分で身体を切りつけていることから他殺説や覚せい剤の使用説も囁かれています。

柴田氏は今年に入ってコロナにも感染していて入退院を繰り返していたという証言もありますが実は陰性だったという説もあります。

また、柴田氏は身長が150㎝と小さいことにコンプレックスを感じ、筋トレも強化していて若い頃から筋肉増強剤も服用していました。その副作用として血栓ができやすく軽度の脳梗塞も発症しています。

これらの事情から体調が思うように回復せず直近の2ヶ月間には何度も自傷行為を繰り返していて、精神安定剤も服用していましたが、親しい知人が発見した時には体中に切り傷、首には大きな刺し傷があったと言います。

また、柴田氏が書いた暴露本で昔の仲間から恨まれている事や、近々出所する予定の「六本木クラブ襲撃事件」で収監されていたメンバー達の報復にも悩んでいたということですが、一方では柴田氏が亡くなる前に出所しているという説もあります。

如何でしたでしょうか?
みなさんはどのように
柴田氏の死因は、真実は解明されないまま警察では「自傷行為による自殺」と断定されていますが現段階では「不審死」が妥当ではないかと思われます。
いずれにせよ、柴田大輔氏のご冥福を心からお祈りしたいと思います。