時系列やめた。

記憶前後してるしめんどくさい

思い出した事思ったことを書いてく


こどもの日か、、、。


って考えた時に

自分の子供時代を思い返してみた。


そう言えば親に服を買ってもらったのは

いつが最後だったんだろう?って


最後の記憶にあるのは

小学4年生のお正月


おばぁちゃん達から

お年玉をもらってそのお金で

コートを買いに行った

今は全く好きじゃない色


あとは全然記憶にないけど

それぐらいが最後じゃないかな

周り近所のお古もらってた


お古といえば

ピアニカ、リコーダー、書道セット

絵の具セット、算数セット

何もかもお古だった


普通なら

ピアニカのチューブを新品にしたり

絵の具セットのパレットだけ新品にしたり

するんじゃないかな


うちの親はそういう配慮はなくて

本当に全部お下がりだった

しかもしっかり6年使ったもの

見るからに黒ずんでるし汚れてるし

みんなと形や色が違うし

持っていくのが恥ずかしかった


唯一、ランドセルと自転車だけ

おばぁちゃんが買って送ってくれたから

どっちも新品で可愛くてお気に入りだった


でも田舎で買って贈ってくれたから

みんなとはちょっと違ってて

今じゃ赤いランドセルの方が

珍しいぐらい色とりどり

柄やキラキラしてたり華やかになったけど


昔はそういうのが

まだ浸透してなかったから

度々ランドセルに関して

同級生とかから色や形について

何やら言われたりしたけど

自分はこの色も形も可愛い

って気に入ってたから

逆に特別感があっていいな

って気にしなかった


おばぁちゃんがいなかったら

もっと悲惨だったと思う


おばぁちゃんは

入学やまとまったお金が必要になる度に

いつも親代わりに(集られてただけだったけど)

お金を出してくれた


それだけじゃない

親戚の人もたまに会いに来てくれては

おやつやご飯をくれて

"親には内緒だよ"(取られちゃうから)

って言って

お小遣いたくさんくれてた。


子供の時は

ただただ嬉しくて

親戚のおばちゃん達は優しいなぁ

なんて

呑気に思っていたけど

これも全部いろいろあっての

優しさだったみたいで

おばぁちゃんが死んでから

聞かされたけど


子供の時の私は

本当に何にも知らなかった

なんでおばぁちゃんが

お金を出してくれてたのか

なんで親戚の人が

度々来てくれてたのか


生きてるうちに

もっと感謝すべきだったって思ってる


そんな感じで

親がお金がなくて

ご飯が用意されていない

お金も置いていない


そんな状態でも支援があったから

なんとか生きれた

夏休みには隣の家のおばちゃんも

何か察知してたみたいで


お昼に尋ねてきては

"ご飯は食べた?"

"一緒に買いに行こう"

って

何回もコンビニやお弁当屋さん

連れてってくれて

ご飯奢ってくれてた


や、そもそも親がちゃんとしろよ!!

って話なんだけど

不思議とネグレクトされてると

親に対して嫌悪感は無くて。


それよりも迷惑をかけないように

立ち振る舞うことを考えてた。


お金がないからずっと働いてる

お母さん達も大変なんだ

って思ってたから


小学5年生の時に

周りはスポブラだったけど

私は買ってもらう事なくて

そんなものがある事も知らなくて

知った時に親に買ってとも言えなくて


兄弟からブラつけたほうがいいよ

って言われて下着のお古をもらって

付けて行くようにしたら


体操服の上からでも透けたみたいで

"もうブラつけてる〜やば!"って

女子達から茶化された記憶がある

めちゃくちゃ恥ずかしいし

馬鹿にされて惨めな気持ちになった

羨ましかっただけなんだろうけど

子供の私には受け流せなかったから


すぐに自分のお小遣いで

みんなが付けてたスポブラを買いに行った


そういうのも気遣ってくれなかった親

今思うと本当に酷い


基本的にパンツや下着類は

小5ぐらいからお小遣いで買ってた気がする


親に"買って"って言えなかった


だって

お金ないの知ってたから


お小遣いは毎月1,000円ずつ

もらっていたけど

結局貯めては"貸して"と言って

持って行かれたりしたから

貸すためにお母さんを助けるために

少しずつ貯めてた


小銭を100円SHOPで買った貯金箱に貯めてたら

学校に行ってる間に壊されて

中身全て抜かれた事もあった


悲しいとか怒りの感情は全く無くて

"うちはそこまでお金がないんだ"

って事にショックで


それが何回もあって

聞かなくても犯人は親だし

何も言えなかった

むしろ協力するために貯めてた


ある程度大きくなってから

子供の貯金箱開けるなんて

酷い親だったなありえないわって思った。


信じられないかもしれないけど

小学生の時の文房具は

全部お年玉や月のお小遣い

パチンコで買った時にもらえる

臨時お小遣いとかを貯めて

その中で買ってた


ノートとか、消しゴムとか、シャーペンとか

なんでもね。

野菜消しゴムが流行ってて

少しだけお小遣いから買ってたなぁ


小学校1年生の時の最初に用意するものは

確か入学のお祝いで金券と現金をもらって

それで筆箱とか買いに行った。

親も"これはおばぁちゃんがくれたお金だよ"

って説明してた。


だから当たり前のように

"親に買ってもらう"っていう

発想がなく育った。


"これ買って"って

ねだる事は一度もなかったらしい

そりゃ言えるわけないよね

お金ないの知ってたから


いつからか

自分のお小遣いで買うのが

当たり前になってたのに

親は何も気にしてなかった


普通、ノートある?とか聞くよね?


ありがたい事に当時の文房具は安かったし

夏休みに使うB紙も

1枚売りしてたから余裕で賄えてた


今の時代じゃ無理だろね


でも今思うと小学生が1人で

デパートの売り場に

下着や靴下を買いに来るのって

なんか違和感ある

もしかしたら店員さんから

不思議そうな目で見られてたのかな


小学生のうちは純粋だったから

親を助けたいって思ってた


お金がないから両親は

いつも朝から夜中も働いて

全然家にいなくて

お金があれば家にいてくれるんだ

って思ってた


親が帰ってこないまま寝る日も多かった


学校からただいまって帰ってきても

誰も家にはいなくてシーンとしてて

ペットもいないから孤独で

1人で家にいるのが嫌いだった


兄弟は歳が離れてて

家に帰って来るのが遅かったし

嫌いだったから


外に出て遊びに行ってた

同じ住宅の子や

公園や空き地で知り合った子と

友達になって年齢関係なく仲良くなってた


今思うとコミュニケーション能力高かったなw


そんな感じだから

家の鍵を渡されてて無くさないように

常に首からぶら下げて持ち歩いてたから

"鍵っ子"って裏であだ名つけられてて


家に鍵を忘れると家に入れなくて

ずっと待ってたり

親の職場に取りに行ったりしてた


今思うと本当に

恵まれた生活ではなかったな


もうすぐ母の日か


この頃のお母さんは

どんな風に子供のことを考えていたんだろ

子供の将来をどうする気でいたんだろ


本当に何も考えていなかったのかな


お金がない。

で全て済まそうとしていたのかな

それとも大きくなったら働いて

家にお金を入れてもらおう

とでも思っていたのかな?


真相は知らないけど

お金の面だけで見たら酷い親だったよ

性格の面だけで見たらいい親だった

少なくとも母親は


さてメンタルやられてきたので

今回はこの辺でストップ


小学生時代は

1年生の時から数人の男子に

転校する度に同級生、下級生、上級生から

それぞれいじめに何度かあったし

中学生になってからも

本当に最悪だった


学校のみんな嫌いだった

よく不登校にならずに

学校行ってたよなって思う


親を悲しませたくないから

親に負担をかけたくない

ただそれだけのような気もする

早く大人になって

こんなバカらしい世界から

抜け出してやるって

ある意味低レベルな周りを見下してた


それだけが生きる糧だったのかもね


なーんて。