幼稚園時代は
普通にどこにでもいる家庭の子
として育ってたと思う。

幼稚園も楽しかったし
友達や先生も好きだった。

今でも園庭を覚えてるし
ところどころ記憶も残ってる。

1人でお留守番で家にいることもあったから
よく外に出ていろんなところに遊びに行ってた。
公園に行けば誰かいるしネコもいた。

知らない子と遊んで仲良くなったり。
今の時代じゃ考えられないのかな?

家の周り近所はよく分かっていて
一駅分ぐらいなら歩いてた。
車や通園バスで通う幼稚園も
何度か歩いて行った事がある。

自転車に乗れるようになったのも早くて
幼稚園児で1人で自転車乗って
出掛けたりもしてた。

ちょっと離れたところに学童があって
学童の意味も分からず
遊びに行ってた時がある。

大人になった今は
学童がお金を払って子供を預けるところ
と分かるけど

子供の時は分からなかったから
無邪気に遊びに行って学童の子と遊んで
学童の子とイベントも参加してた。
好きな時に行って好きな時に帰る。
何でそこにいる子達がそこにいるのか
全然分かってなかった。

学童の人たちが優しくて
来たらダメとかも言われず
受け入れてくれてたから居心地が良かった。
家にいてもつまらないし1人だしって。

今思うとちょっと厄介な子
だったのかもしれない。

基本的に親が家にいないから
子供だけで家にいるのも退屈
ゲームもないしおもちゃもなかった気がする
家の中でおもちゃで遊んだ記憶がない

トランプやボードゲームはあったけど
1人では遊べないし
暇つぶしがなかった

兄弟は歳が離れていたから
一緒に遊ぶとかもなく
いじめられてたから
家にいたくなかったのもある

そんなこんなで
幼稚園以外のお友達がたくさんいたから
楽しかった
商店街に駄菓子買いに行ったり
虫を取りに行ったりザリガニ釣りに行ったり
鳩にエサをやるおじさんと
仲良くなったり
大人ともコミュニケーション取って
いろいろ楽しんでたと思う

そしてたまに母親に連れられてパチンコ店へ
当時はまだ子供の入店が規制されていなくて
隣に座ったり徘徊して
常連のおじちゃんと喋ったりしながら
親が終わるのを待ってた事もあった

勝つとお菓子の缶を買ってくれるから
ドラえもんとか、他にもキャラクターの缶が
家にはいっぱいあった気がする。

正月には景品で鏡餅もらったり
キティちゃんとかいろいろグッズも
買ってもらってた

動物園や海水浴、潮干狩りやお出掛けも
たまにはしてたと思う。
写真があるから。

記憶はないけど。

母方のおばあちゃんおじいちゃんも生きてて
何度かお正月の挨拶に
お年玉をもらいに行ってたなぁ

おじいちゃんちは
古すぎて凄い家だった
もはや人住んでるの?レベルで
いろいろ壊れてボロボロ挙げ句汚くて
やばい家に住んでたから
中に入った事はない

おばあちゃんはドケチで口がキツくて
母親とはウマが合わなかったみたいだけど
私にだけ優しかった。

どっちもいつ亡くなったのかは分からないけど
財産分与がどうとか言ってた時あるから
亡くなってると思う
葬式も出てなければ連絡もつかないから
不明のまま



小学生になる頃
遠方に住む父方のおばあちゃんが
私にランドセルを送ってくれた。

おばあちゃんは
数回しか会ったことなくて
方言が面白くて何言ってるか分からない
シワシワのおばあちゃん
ってイメージだった。

来ると必ず1台しかないテレビを占領されて
早く子供部屋に行くように言われたりして
ちょっと厄介に思ってた

恐らくこの辺りで
いろいろ起きてたんだろなと思う。
遠方から遥々
おばあちゃんが1人で来たのも
意味があってのこと

何も知らない私は無邪気に子供して
小学校に上がった。
両親の配慮があったからこその
子供に話を聞かさないように
してたと思われる

何も知らない私は
小学生になったら
友達たくさん作る!
って張り切ってたなぁ。

もちろん6年間通って
卒業すると思ってた。

でも卒業できなかった。

1番楽しい1年生2年生の時期を過ごし
突然、本当に突然に前触れもなく
『引っ越すから転校するよ』
って言われた。

小学2年生の冬の出来事。
この出来事が強烈すぎて
その前の記憶がほぼない。

同級生の顔や名前も
1〜2人ぐらいしか覚えていない。
でもその小学校の校歌や学校は覚えてるし
住んでた街並みも覚えてる。

転校する事がショックだったのか
何かわからないけど
冬休み明けに数日間高熱を出してしまって
転校するまでの最後の1週間
そのまま友達やクラスメイトに
会えないまま転校になってしまった。

さよならも言えないまま。

それが凄くショックだった。
お別れ会もなくて
めちゃくちゃ泣いた。

突然すぎるよーーーー。って。

本当に突然だった。

この引越しは両親にとっても
私にとっても人生の重大な
ターニングポイントだったと思う。
両親はこの時の選択を間違えたと思う。

ううん。
この時よりも前の段階で間違えてた。
他にもいろいろやりようはあっただろうに。

すでに
家族が壊れていくカウントダウンが
始まっていたと思う。

最初の家の記憶はこんな感じ。
ここまでは普通でいられた。