幼稚園からの帰り、知らない女の人に呼びとめられた。
なぜだかそのときだけいっしょに帰る友達もいなかった。
季節はずれの毛皮のコートを着ていたと思う、顔は覚えていない。
女の人は母の友人だという。私を喫茶店に連れていった。
私にアイスクリームを注文し、自分はコーヒーを頼んだ。
私は早くに母を亡くしていて、父と二人暮らしだった。父は大学に勤めていたので、身の回りの世話は女中にまかせていた。
私のことを聞かれたと思うが、特に話すこともない。幼稚園は楽しいし、母がほしいと思ったこともない。物心ついた時には母はいなかったので。
女の人は私が不憫だと言ったが、なんのことかわからなかった。
母と同じ学校に行って遊んだこと、田畑の景色や虫取りをしたことを話した。母は歌が上手で、お人形のように綺麗だと言った。私が母に似てきたと言って、うれしそうにしていた。
それまでは母のイメージはぼんやりとしていたが、はっきりとしてきた。
彼女は私がアイスクリームを食べるのを見ているだけで、コーヒーに手をつけなかった。
その後、途中まで送ってもらって一人で帰ったと思う。いつもより遅かったので、変だと思われたらしい。このことを言うつもりは無かったが、聞かれたので話した。父は驚いて困ったような顔をしたが、とくにとがめもしなかった。
ずっと後になって、祖母から事情を聞かされた。
私の母は私を産んで間も無く、肺病になって離縁されたという。
治る見込みもないので、自分から離縁を望んだそうだ。
一度だけ療養所を抜け出して、私に会いにきた。私が元気に過ごしているのを見て安心したそうだ。その後数年して、亡くなった。父は母を愛していたのか、後添えも持たず独身を貫いた。
あの時の女の人は母だったとわかっても、どう考えればいいのかわからない。なぜ母だと明かさないと責める気持ちもない。
離縁は母が望んだことだというが、周りに強要されたのではないかとも思う。
私に会いにきた母の方が不憫だったと大人になって思う。