このブログを作ったのは、自分の中にある悪魔のような本音を吐き出したかったからだ。

もちろん、こうして言葉にすることで自分を向き合えることもメリットだが。

 

自分の本音がかなり歪んだネガティブなものであると、私はよく分かっている。

だから、知らない誰かに向けたブログにしたかった。

人にどう思われるかを気にする私にとって、友人知人たちから軽蔑や嫌悪の目で見られることが嫌だったのだ。

 

 

昔は、こういうネガティブな本音は、こっそり日記帳に綴り、家族に見つからないよう隠しておくものだったと思う。

でも今どきは、日記帳がパソコンに代わり、個人情報を出さずに書き綴ることが可能になった。

 

 

こんな私のような人間が思うことを、誰かが読んでくれるのかもしれない。

中にはもしかしたら、私と同じことを考えている人がいるかもしれない。

 

そんな、「ちょっとした仲間意識」が欲しくて書いているのかもしれない…

 

 

世の中には色んな人がいて、悩みや迷いをさほど抱えない人がいる。

そもそも物事を気にしない、深く考えない、楽観的楽天的な人がいる。

ストレスに対する自己解決ができて、切り替えが早く、引きずらない人がいる。

 

しかし私のように、ネガティブ思考、自責の念が強く、なかなか気持ちの切り替えができない人もいるはず。

 

被害者意識満載の文章を書いて、できない言い訳ばかりして、傷の舐めあいをしたいわけではない。

でも、結果的にそういう方向になっていて、批判の対象になってしまうことも分かっている。

 

 

ただ。

私テキには、ネガティブな自分も自分であり、ネガティブな感情も必要だから存在しているのだもの、そんなに嫌わなくてもいいんじゃないの?と思う。

 

光が当たれば、裏側には影ができる。

光が当たらない部分は必ず存在する。

 

その裏側の部分、光が当たらずにいる闇の部分を、ブログに書いてもいいじゃないか?なのだ。

 

 

いつも笑顔でポジティブ思考で周囲の人たちに好かれる人は、1ミリも闇のない人だろうか?

360°どこから見ても太陽のような人など、存在するのか?

 

 

 

他人の投稿を見て不快に感じる時は、もう見なければいい。

なのに最近のSNSを見ていると、酷いバッシングで大荒れになったりするケースが多いと思うのだ。

 

 

私のこのブログも、読んで不快であれば、もう読まないでほしい。

なぜならそれは、その人を愉快にさせるために書いているものではないからだ。

 

 

他人からのレスポンスを必要としない。

 

とは言え、読んでくれる人がいれば嬉しいもので、アクセス数が気にならないと言えば嘘になる。

自虐ネタで笑ってほしい、共感してほしい、と思う反面、バッシングはされたくない。

 

 

 

関わってほしいが、批判はされたくない。

こんな葛藤があるのが人間ではないだろうか?

 

このブログは、そんな気持ちで書いている。