私はずいぶん昔から「人は鏡」という意識があったのだと思う。
そのため、相手から嫌われないように、自分が相手を嫌わないようにしていたのだ。
これもおかしな話だと、今更ながら思った。
「相手の全てが好き」だなんて、あるはずがない。
でも、砂粒1つ分でも「嫌い」が見つかると、自分も嫌われてしまうと考えていたため、自分にとっての相手の「嫌いな部分」は、徹底的に「無いもの」にしていた。
それは「相手のいいところ」を見るようにしていたのではない。
「嫌いなところ」にまるでモザイクをかけるように、「私はこの人が好きである」と自分を自分でマインドコントロールしていたようなものだ。
「演技」のようなものだけど、自分自身も騙す、ほぼ真実に近い「演技」だ。
しかしその、騙していた自分自身の「嫌い」や「憎い」などに何かの拍子でヒビが入ると、その「好き」のフィルターはあっけなく粉々になる。
そこで初めて「あぁ、私は、実はこの人が嫌いだったのだ」と気づく。
「人は鏡」ということは、私のこの感覚とはちょっと違っていると思う。
相手に嫌われたくないから、自分は相手を嫌いにならないようにする…なんて。
そうじゃなくて、自分が無意識でしている行動に気づくために相手があるだけで、自分を騙して「相手を嫌いではない」としても、ホンネは別なのだから。
「人は鏡」の使い方を間違えていた、と、ちょっと笑えたが。
私はここ最近、この「人は鏡」を気にし過ぎていたようだ。
相手の言動で気になることがある度に、「自分もそうなのではないか?」と考えてしまう。
でも、相手のいいところを見つけて、それが自分の鏡だとは思えない。
鏡はいつだって、悪いところ限定だ。
そうやって、人に対して何かに気づく度に、自分のことをチェックする。
だから、常に自分を見張っているような状態だから、同時に反省会にもなるわけで…
自分に正直に生きよう、「いい人」は辞めよう、なんて言っているくせに、相手に嫌われないために自分まで騙しているとは…
もう、自分自身が分からなくなってきた。