ここ最近の悩み。

それは「自分軸で生きられていない」こと。

 

他人の顔色をうかがって生きることに疲れている。

他人のネガティブな感情に気づいてしまうと、恐怖で仕方ない。

 

私はHSPだ。

故に、他人の感情に気づいて振り回されることが多い。

 

 

今朝、そんな自分がつくづく嫌になった。

 

 

また今日も、散らかった頭の中をそのまま書きたいと思う。

 

 

他人の顔色をうかがう生き方は、幼少期からの癖だ。

それは、親たちのご機嫌伺いから始まったもの。

 

我が家の親たちは夫婦仲が悪く、気に入らないことがあると父親はすぐに暴力を振るい、母親は毒を吐く。

 

いつ父親がキレるか分からない夕飯時は、常に緊張状態。

アドラー的に言うなら、父親は「キレたいからネタを探す」人であり、なんだかんだと理由を付けては家族に当たり散らす。

そんな父親に絶対に負けたくない母親は必ず口答えするから、テーブルの上の料理が皿ごと飛ばされたり、投げたものがぶつかってガラスが割れたり。

まともな食事ができる方が少なかったように思う。

 

私はいつも、ビクビクしていた。

怖かった。

父親の怒りの矛先が自分に向いたら最後、息ができないくらい蹴られるとか、裸足で外に放り出されるとか、何時間も板の間に正座させられるとか、食事を与えてもらえずに部屋に閉じ込められるとか、そんな感じ。

 

母親は父親に殴られて、片方の耳の鼓膜が奥に引っ込んでしまった。

しかし、この母親に私は(父親からの暴力を)庇ってもらうどころか、一緒になって罵るとか、「アンタのせいで私まで怒られた!」と殴られることも普通だった。

 

私にとって「家」は、「安全」ではなかったのである。

子供だった私は、親たちのご機嫌取りして自分の身を守るしかなかった。

 

 

 

心理学を学ぶと、我が家の親たちのような人は、自分と向き合って自分の失敗を認めることができず、その責任を誰かになすりつけないとならなかった…と、理解できたのだ。

 

「お前のせいで!」「アンタのせいで!」

何百回、何千回、聞いただろう?

 

 

父親はいつも、突然殴り付けてくる。

居間では父親の利き手である右側に座っていた私は、父親に殴られるなんて日常茶飯事だったわ。

 

そして怒鳴られる。

「なぜ殴られたか、考えろっ!!」って。

 

なので子供の私は、必死で考えるのだ…

 

 

 

あぁ。

今になると、悔しくてたまらない。

「そんなの、お前が殴りたいから殴っただけだろうがっ!!」と、言えなかった自分が悔しい。

 

 

 

母親は私のことを「厄病神」と言っていた。

「この家の不幸は全部アンタが持ち込んで来る!」と。

 

母親には、誉められたことも、労われたことも、ハグしてもらった記憶も、何もない。

ただただ罵られて責められて、「面倒臭い奴」だと疎外されてきた。

 

歳を取って、自分がしてきたことを反省して生きた父親とは違い、母親は勝気で誰の言う事もきかないまま、あの世へ旅立っていったわ。

 

 

 

 

私は、この2人の娘なのに、どうしてこんなにメンタルが弱いのだろう?と、考えてしまう。

人が怖くて、ご機嫌取りばかりして、疲れ果てて…

 

「もっと楽に生きたい」

 

今朝、そう思う自分がいて…