夜話2271 寿子可愛や  その1 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話2271  寿子可愛や  その一 


寿子とは18才で死亡した妹のこと。

長崎市紺屋町七番地で昭和4年の元旦に生まれたので 壽子と名付けたとは実母タケヨの想い出話から。

実家の仕事は 製版業。実父は元長崎新聞社の写真部長だったとか。

写真技術にに智慧があったらしい

家業の製版業の仕事の内容は詳しくは知らない。各種印刷のために銅板とかアヘン板に写真の映像を薬品をつかって焼き付ける稼業。 


当時九州で七店舗しかなかったとはこれまた職人魂のカタマリだった実父中原定吉の自慢話。


そのころ国内は不況の真っただ中。左翼運動家らが逮捕された昭和は8年の時代。


実家は下が6畳の広さの居間と同じ広さの仕事場。

二階の一部に昔風の脚のある大きな写真機と小作業場。


寿子より二歳年上の兄が小生。今は姿を消した勝山小学校の尋常一年二なったばかりのとき小生は満州に居住していた母の姉つまり伯母ミツヨの家に養子に出された。

妹寿子もその二年後に伯母の家に養女に出された。満四歳のときだった

当時実家には兄がふたりと姉がふたり。つまり寿子を含めて五人の子がいたのである。

そしてその年実母タケヨは胸を患い40の若さで亡くなった。

満洲の伯母夫婦には子がいない。しかも養父は石原菅爾らと気脈を通じて満洲国建国のウラ仕事をしていたらしい。

日露戦争やシベリヤ出兵の経験もあった猛者でもあったらしく満洲の四平街で裕福な生活を送っていた。

養父母ともに子どもが欲しかったらしく小生兄妹が二年遅れて養子養女になったわけである。

実母が死亡したことは養父母は我ら兄妹二人には教えてくれなかった。 内地長崎と満洲四平街はそれほど遠くそして養父母はタケヨの死亡を告げることの無惨さを知っていたから。 つづく  夜話2030をご参考に



                               


先発して養子となったころの小生の写真を見るといかにもワンパクのつら。

それに比べ後発の養女寿子はなんとも可愛げのある顔である。

養父母の寵愛を此の妹に奪われた。

併し血を分けた妹。ワンパク坊主の小生にとっては何よりの 自慢の妹 寿子だった。  つづく