夜話 388 俳人石橋秀野と卯の花
定期に通っている、М先生の診療所は自然豊かな山里にあってその場に身を置いただけで、気が休まる。もと八女郡立花町白木という。
三年ほど前から身体の不調をイヤしてもらうため通っている。
『優気術』と看板が出ているが、文字通りやさしい術師である。
鶯のさえずりを聞きながら「気」をいれてもらって優しい身体になる。
「気」の説明は善知鳥には不要。
この世知辛い住みにくい気の満つる世界から九十分解放され「やさしい気」のなかに身を置きたいだけである。
鶯がまた鳴く。
先生はそれを聞いて「うまくなった。初めのころは笑いたくなるほど下手だつた。」
鶯を身近な友にしての、優しい言葉である。
そのМ先生から「姫卯つ木」と赤の小花を覗かせている「石こく」をいただいた。
父君の丹精の鉢とか。
「優しい気」に「優しい花」が加わった。
喜び勇んで帰途に着いたら五月の診察予約をすることを忘れた。
「優しく」なりすぎたからと思っている。
敬愛する石橋秀野に「卯の花」を詠んだ下記の二句がある。
肺を病み、幼児を抱えて悲惨な生活の中での句である。児を詠んだ句もあわせて記す。
そのころ肺病は不治と言われていた。昭和二十二年四月の句だ。
夫の山本健吉の『季語五○○選』によれば万葉集にすでに唄われている「春去れば卯の花くたし吾が超えし妹が垣根は荒れにけるかも」の一首をあげて「卯の花くたし(腐る)」がやがて「五月雨の前に降る霖雨をさすようになる」といっている。
「卯の花くたし」の語感は、雨好きの善知鳥には応えられないことばである。
鉢ものには弱いので、すぐに地におろすことにしている。
可憐な「赤の石こく」については、また後日。
石橋秀野の三句。昭和二十二年四月。「病中子を省みず自嘲」の前詞あり。
児を残し無念の死を迎える五ヶ月前の句である。
・衣替鼻たれ餓鬼のよく育つ
・病み呆けて泣けば卯の花腐しかな
・卯の花腐し寝嵩うすれてゆくばかり。(敬称略)
写真上 姫卯つ木 下 石橋秀野