夜話  18 石橋秀野と永井荷風 | 善知鳥吉左の八女夜話

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         少女時代の秀野

夜話18 石橋秀野と永井荷風


八女市の無量寿院という寺に女流俳人石橋秀野が夫の山本健吉(石橋貞吉)とともに眠っている。

秀野のルーツ探しに10年かけた「八女を記録する会同人」の善知鳥の夜話の続きである。

秀野は奈良の師範学校の付属小学校を卒業している。

6年生のとき東京の余丁町小学校から師範付属への転校は異例である。

余丁町小はいま新宿区にある。

さて、なぜ秀野は余丁町小学校か。

気になった善知鳥はは、上京の機会に地図を頼りに余丁町を訪ねた。

現場主義は善知鳥が絵描きだからだ。

午前10時。うろうろして見回す目に「抜弁天」と「坪内逍遥旧居跡」の標示が目についたとき、「秀野」は無情にも頭から飛んで消えた。

永井荷風が数年住んでいたのがこのあたりと気づいたのである。

住まいを「断腸亭」と名づけ雅号ともした。断腸花は秋海棠のこと。

うろんな目つきに見えたのか、善知鳥に老人が近づき「なにかお探しか」と問うた。

善知鳥が荷風の住まいのことを聞くと意外にも、すぐに右手の新築の瀟洒な家を指さし「ここいらでさぁ」。

「荷風をご存じとは珍しい」とお礼を言う善知鳥に、老人はうれしそうに「いやこちらこそ、荷風を聞かれたのは数年ぶり」とのこと。

そして付け加えて「嫁にいびりだされて時間があまって」とのこと。

ついでに余丁町小学校の所在をきくと「むこうにあった」とゆびさした。

さされたほうを見て善知鳥ははおどろいた。

こんどは荷風から秀野に頭が飛んだ。

家並みの向こうのビルの壁面の「東京女子医大」の大文字が目に入った。

秀野の姉タマエが卒業した学校である。

なるほどタマエとの共同生活のための余丁町だったのか。

父楢太郎も一緒にここに住んでいたのか。

しかし秀野と荷風がここで重なるとは驚きである。

余丁町からなぜ奈良の師範学校付属小への転校か。

ご日、余丁町小学校には「画家の林武と東郷青児」も在学していたことを知った。(敬称略)