日大「内田・井上コンビ」にソックリな人物は日本中の会社にいる
恫喝と隷従。
日大アメフト部の内田前監督や井上コーチのような教員がいる学校を部外者が簡単に見分ける方法があります。
教員の統率がとれすぎているかどうかです。何にしても過剰というのは危険です。
かつて勤務していた学校でも内田氏に似た校長がいました。
自分の出身大学(仮にA大としておきます)の体育会出身者、特に自分のやっていた剣道部の出身者がやけに多かったのです。部活の指導をしていた縁で、会社員から教員に転身したという人もいるくらいです。
当時の校長は自分が気に入らないことがあると、どこでも突然脈絡なく、大声で怒鳴りました。
ドナルド・トランプというニックネームを謹呈します。
怒鳴り声なので、「馬鹿」という語以外は何と言っているか聞き取れないことが多かったのです。
静かな環境で過ごしてきた私には、同僚や生徒への怒鳴り声であっても、びくっとなるほど恐ろしかったのです。最後まで慣れませんでした。
中には家族の事情を持ち出して人格を否定された人もいます。どうすることもできないことでした。これは盗み聞きして私に教えてくれた同僚もいるということでもあります。それもまたひどいことです。
土下座を切り札にする体育会出身の教員もいました。
一度だけ、校長に怒鳴られたことがあります。
ご自慢の講堂ができた頃のことです(その講堂に校長の名前がついています。ご本人は辞退したというのですが、どういうことなのでしょう。なぜここだけ校長に従わないのでしょうか? 気持ち悪い忖度ですかね。謎だらけです)。
当時、午前中に実力テストを実施した後、午後からも通常授業を受けさせていたのですが、生徒は疲れ切って集中できていませんでした(これはその後、テストの時間を延長して午後の授業をなくす提案をして解消しました)。
そこで、修学旅行で長崎に行く事前学習として講堂で映画(永井隆の「この子を残して」)を上映したいと校長に頼んだのです(こうした場合、主任は「yamesenさん、直接交渉してきて」と言うだけ)。
即座に「何を思い上がっているんだ! 馬鹿!! 」と怒鳴られました。準備した書類も読んでもらえません。泣きそうになりました。
生徒にも丸聞こえ。あまりの剣幕にも生徒も怯えるほどでした。
「馬鹿という人の方が馬鹿なのです」といつも生徒に言ってきたので、生徒には伝わっていることを祈ります。
講堂は授業で使うものではないのでした。
保護者が見学する英語弁論大会や合唱コンクールは確かに授業ではありません
(ところが、狭い講堂なので、合唱コンクールは結局、外のホールを借りることになりました。ただし、高校の学年コンクールは見学者が少ないので講堂を使うそうです。どこまでも徹底しています)。
私学の教員の多くはその学校のやり方しかしらないので、校長以下どの教員も怒鳴って人を支配することを覚えます。
朝礼で怒鳴るのは日常茶飯事。教頭や主任もホームルーム中も校内を巡回して、肘を突いている生徒がいるなど態度が悪いと見なした場合は、担任・生徒もろとも怒鳴りあげます。
先入観でターゲットにされている教員がいるように感じました。
一度だけ、私もホームルーム中に怒鳴られたことがあります。その時は、あまりにばかばかしくて、それでも構わんと思いました。そのうち書きます。
国語科では毎月漢字の小テストをしています。授業の時間を減らさない執念を感じますが、この程度ならどこでも行っているので特に面倒見がよいというわけではありません。
特色は小テストの「追試」にあります。
勤務した時、教員が「追試」「追試」といつも騒いでいるので、「いったいどんな大変なが起きたのか? 」と思ったら、小テストの再テストのことでした。
「追試」に合格しないと「再追試」が待っています。
それらのテストに合格しないと、学期末に登校させて、間違えた字を20回ずつ書かせていました。
驚いていたら「ペナルティだから」とあっさり言われました。
覚える方法ではないので、確かに罰ですね。
生徒の方も1画を20回続けて書くような作業をしているのですが、教員もいちいち調べたりしません。
これはひどいので、私は合格しやすい「再追試」を作り、不合格の生徒には、清書と次回の範囲の練習用ノートを作成させていました。
ところが、どこから聞きつけてきたのか、A大体育会出身者からクレームがつきました。
「次回の準備は今回の課題にはならない」とのこと。
次は合格できるようにというささやかな配慮は理解できないようです。
彼ら(A大は文系大学なので国語科には体育会だけで二人もいた)は小テストの全員合格への情熱がすさまじかったのです。
「再々追試」「再々々追試」(冗談みたいですが、本当にこうプリントされています)に燃えていました。
次回の小テストの期日が来ても、最後の一人になっても、他の教員のいるところに呼びつけてテストをしていました。
教員ばかりの中、たった一人で試験を受けている生徒は達成感より劣等感を抱くだろうと危惧しました。
そんなに何度もテストをしたら、生徒は自信を失い、漢字を嫌いになるのではないか、生徒にも事情があるのではないか、教員は授業に努力を傾注した方がよいのではないか、と思いました。
教科会で「追試をやめては」と議題を出しましたが、A大体育会出身者たちから「最後の一人まで追求することに意味があるので絶対ダメ」と言われました(教育的な理由は説明できないようなのですが彼らは「絶対」がお好きです)。他の同僚は何も言いません。井上氏タイプでしょうか。
ようやく追試までは必ず行うという形で決着しました。
私(他の同僚に指摘されるまで気づきませんでしたが彼らに嫌われていました)が退職した今は、全体が体育会出身者の方針になっているようです。
ところが、数年後にはA大学出身で教員採用に応募しても、その学歴では現在の生徒の力量に見合わないと不採用にしたと聞きました(ここにも校長の発言を聞いて吹聴する人がいるのです)。
当時の校長もA大の出身だったのに。これも冗談みたいな本当の話です。
こうして進学校化に伴い、従来の学閥は解消されています。現校長も別の大学の卒業生です。その方はいろいろな面から考えて校長に適任だと思います。もちろん、周りを固めているのはA大だらけですがもう数年がまんしてもらいましょう。
受験生向けの雑誌に東大や一橋大出身の応募者があると自慢するようになりました。
一時期「進路指導の教員は東大が好き」とウィキペディアに書かれていましたが、現在は削除されています。東大卒の教員は短期で退職する人が多かったです。
退職せず残存している内田タイプやそれにへつらう井上タイプのような教員が定年になり体質が変わることを願います。
それでも、私学の学園内のムードは継承されるから不安という方もいるでしょう。
しかし、指導者がどうあれ、危険タックルをした学生のように誠実な対応ができる人もいるのです。
彼の保護者もすばらしい方なのだと想像します。
どんな環境でも、何があっても、自分を信頼し支えてくれる保護者の勇気づけは子どもにとっての宝です。