アエラが大宮開成・東京都市大学等々力をほめ殺し | 中学受験の小箱 by 元私立中学教師 yamesen

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塾ナシで難関大合格 中1から「意識高い系」顔負けの受験対策とは?

 大宮開成・東京都市大学等々力の両校に対する悪意を感じる記事でした。これを読んで通いたいと思う小学生がいるのでしょうか。
 中学受験関係ではこうした記事が多いのですが、学校は評判を落とすことに気づいていないのか、不思議でたまりません。

 記事を読んでいるだけで、息が詰まります。私は「凄い(=ゾッとする)」と思って読むだけですが、どうか子どもたちをのびのび深呼吸させてあげてください、と願います。3ヶ所、引用します。

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 生徒には専用のノートに毎日、学習と生活の予定と記録を詳細につけさせている。起床から就寝時間、自習を始める時間と内容を生徒自身が計画して記し、実行できたかどうかを振り返る。

 さらに、学年が上がると1日のスケジュールを時間単位でより詳細に計画し、将来の夢とそのために実行すべき行動を逆算して、長期、中期、短期の目標に落とし込んでいくという。目的意識を明確にして学習へのモチベーションを上げていくのが狙いで、「意識高い系」のビジネスパーソンも顔負けの“セルフマネジメント”を徹底的に身につける指導だ。
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 ……ディズニーランドに6時間滞在、祖父母の話を1時間聴く、とか決めるのでしょうか。多分延長してしまうでしょうが、それは計画通りでないので失敗なのですかね。
 「教師が目を通す」とあるのですが、生活全てを教員に把握されたらと想像するだけで恐ろしいです。
 「徹底的」であればあるほど人を追い詰めることを知らないのでしょうか。
 記者もその辺りを感じているのか、「意識高い系」という人を最大限に貶める表現を使って冷笑しています。
2 
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「・・・毎日勉強するのが当然で、たくさん勉強する子をリスペクトするような雰囲気が生まれてきました」
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 怖い雰囲気です。この文脈で「リスペクト」などという言葉を使ってしまう校長のセンスもどうかと思いますが。
 学習量(そもそも、量で測るのもおかしいのです)は人によって違います。限界もあります。そんな尺度が幅をきかせるのではなく、それぞれの友達の良いところを見つけること、何より一人の人間としてお互いを尊敬し合うことを学んでほしいのです。

 さらに「当然」「当たり前」という表現が気になります。この学校だけでなく、豊島岡などの学校関係者も愛用しています。どんな生徒でも躓くことがあります。人間ですから機械と違っていつも同じペースでは過ごせません。学校の求める「当然の勉強」ができなくなった生徒に対して冷酷な響きを持ったことばです。使わないでほしいけれど、こうした学校では、使うのが「当然」だと思っているのでしょう。
 「勉強するのは当然校」という分類がほしいほどです。「テスト大好き校」などというのもいいかもしれません。

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毎日のテスト結果の分析も重視し、クラスごとの平均点や正答率なども発表する。生徒の間には対抗心が芽生え、クラス内で教え合う姿が頻繁に見られるようになったという。
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 これはやってはいけないことの一つです。
 テストをものさしにして子どもたちの対抗心を煽って上下関係を争わせること、特に集団で競争させることに益はありません。ゲームではないのです。

 両校長の発言は、「24時間戦えますか? ジャパニーズビジネスマン!」時代を思い出します。この下で働く教員も思考停止にならなければやっていけない気がします。忙しすぎて、冷静に考える余裕がないかもしれません。

 これを「教育改革」と呼ぶなら、お気楽なものだ、といって済ませられればよいのですが、実害があります。
 大学に受からなければ6年間は無駄だとでも考えているのでしょうか。本気で心配です。でも一度このように舵を切ってしまうと、立ち止まって考えることは至難の技です。

 ここで例示されている合格大学は、保護者の時代よりずっと入学しやすくなっています。ある程度、ぎゅっと勉強させれば、一定の合格者は出せると思います。しかし、その方向を量的に増やすだけでは限界がきます。限られたマンパワーで質と量を確保することはできません。
 
 生徒のための学校であって、学校の経営のために生徒がいるのではありません。

 本物とメッキは区別がつきます。ただし、本物をたくさん見ないと、見分けがつかないといいます。

 学校教育は簡単にやり直せないから慎重でありたいのですが、どうしても不具合が出てきたらやり直すこともできます。やり直しを気持ちよくできる社会にしたいものです。そのために力を出したいと考えています。