テスト釣行にきてまっせ☆
毎度でんねんわ
ささめ針のフィールドテスター、中本チャンでんねんわ
さてさて、本日はささめ針の『ニュー・アイテム』をテストする釣行にきています。
その「ニュー・アイテムとは何ぞや」と尋ねられれば、
「それはネ、あのねぇ~…」ってな軽い乗りで教えるほど、このオッサンの口は軽おまへんで
そォう、いわゆる企業秘密というヤツですわ。
でもネ、生粋のシャベリな性格であるオッサンは、このブログを見ている皆さんに云いたい、伝えたい、喋りたい…。
そこで、ヒントです。
それは、いままでにない画期的な『投げ仕掛け専用の小物』です。
その内容は・・・。
アアぁ、ココまでしか云えまへん。
ウォ~ッ 皆さんに云いたい、伝えたい、喋りたい…
でも、内緒なのよぉ~ん
来年のカタログか、下手をすれば再来年のカタログに載るまでは、絶対にしゃべっちゃイケナイのがツラおます。だって「義理と人情を秤に掛けりゃ、義理が重たい釣り具の業界…」でっからネ。
まっ、兎にも角にも、この『ニュー・アイテム』には乞うご期待しておくんなはれや
『時間よとまれ』1978年の夏☆
毎度です
ささめ針のフィールドテスターの中本でおます
さて、前回の続きです。
もちろん、ソロになってからも永ちゃんの大ファンで、大阪で開催されたコンサートには殆ど観に行ってます。そして、コンサートへ行くたびに買い求めるのが「E・YAZAWA」の黒Tシャツとバスタオル。一時は黒Tシャツが10枚以上と、実家のバスタオルの殆どが黒や白、赤に「E・YAZAWA」と入ってましたもんネ
「その日暮らしが、どんなモノなのか、分かっているのかい、ルイジアナ、モンタナ、インディアナ、はるかカンサスシティまで」
「俺たちの出会いを、見つめていたのは、甘く苦い、ウィスキー・コォークゥ~」
「汗をかいたグラスのォ、冷えたジンよりィ、…まぼろしでかまわない、時間よとまれ、命のめまいの中で…」
「ささめ針を、ヨ・ロ・シ・ク 」
夏の日差しに青い海、白い砂浜に缶コーラ、夕立、ひまわり、セミの声…。
グリスが香るリーゼント、レイバンのサングラスに『E・YAZAWA』黒いTシャツ。
ウゥ~ン、懐かしくて甘酸っぱい青い春の思い出でんなぁ…。
ちなみに、下の写真は昭和53年の夏に彼女と南紀へ一泊二日のお泊り旅行にいったとき、トヨタレンタリースの事務所に愛車の真赤な日産・ケン&メリー:愛のスカイライン2000GTXで思いっきり突っ込んだときの思いで深い一枚でんねんわ
これがトヨタレンタリースへ飛び込んだ
【昭和49年式 スカイライン2000GTX】でっせ
車高を落とし、195のワイドタイヤにタコ足配管+キャブにソレックスをかまして、2300ccにボアアップしたのL型エンジンを搭載で、名神高速・京都東のストレートにおいてはMAXで170㌔はでましたで
でもネ、クドイようですがトヨタレンタリースのショーウインドへブッ込んで(特攻精神あふれるイケイケの車でしてんわ)、結局は廃車になってしもたんですけども…。
リアスポに輝くオッサンの愛称【TUNCO】が懐かしおますで
いや、ホンマに・・・・・・。
『君はファンキー・モンキー・ベイビー♪』でっせ☆
毎度でぇ~す
ささめ針のフィールドテスター、天下の中本でんねんわ
さて、オッサンが一番いちびっていたのは1975年前後という高校生のころで「中ランを背負ってリーゼント♪」ってな横浜銀蠅の曲ような格好で登校していました。
…とはいっても、国鉄・片町線のとある駅で降りようとしても満員電車は下車を許してはくれず、仕方なしに京橋駅まで行ってパチンコ屋や雀球・アレンジボール(50歳前後のオッサンならばドナイな遊戯台かはお分かりでっしゃろ)ってなアングラな店で時間をつぶす学生生活でおましたが…。
でっ、当時のオッサンのアイドルといえば、あの矢沢の永ちゃんが作った最高のロックン・ロールバンドの「CAROL」でっせ
頭の出来が悪いオッサンには「CAROL」の単純明快でファンキーなロックンロールが分かりやすくて乗りやすくて、リーゼントに革ジャン、タイトな革パンツという極初期のTHE BEATLESのようなスタイルも大好きでおました。
「CAROL」の曲の中でも、とくにウッちゃんのトレブリーで鋭いリードギターのイントロから始まる「ファンキー・モンキー・ベイビー」は大のお気に入りで、ジョニー大倉のソリッドなリズムギターとユウ岡崎のタイトなビートに乗せて唸なる永ちゃんのへフナー・ヴァイオリンベースの低音。そして、永ちゃんのソウルフルなシャウトと、いま聞き返しても鳥肌が立つくらいの出来でんな
さぁ~て、その当時に千早赤阪村でにぎわっていたニジマスの釣り堀へ地元の悪さ仲間とツーリングしたときの写真です。
どないだ、イカにも「ファンキー・モンキー・ベイビー」してまっしゃろ
イヤイヤ、どちらかといえば「港のヨーコ、横浜、横須賀ぁ~♪」の『ダウンタウン・ブキウギ・バンド』の 宇崎竜童さんに近おまっかな
(まっ、パッチもんのツッパリなのは確かでおましたわ)
高校一年生だったオッサンの宝物☆
毎度です
フィールドテスターの中本でっせ
大東市立 南郷中学校を無事に卒業した昭和49年の春休み。
オッサンは家業の米屋にてアルバイトという名の強制労働に駆り出されました。
もォう、オモロイけれどもムチャクチャでなんやよう分からん親父と,鬼のようなオカンに20日にわたってコキ使われたあげく、少ない小遣いを「賃金」と偽られて給料袋に入れて手渡され、そのお金をにぎりしめて向かったのが当時のダイエー住道店2Fにあった『まえだ釣具店』でありました。
このまえだ釣具店、本店は国鉄片町線の片町駅前にあった『まえだ釣具店』の支店で、店内にはドナイみてもオバちゃんやけども「お姉ちゃんと呼び」と強制する自称:看板娘が仕切っていました。
でもまっ、このオバ…、いやお姉ちゃんが僕らをナニかと可愛がってくれたので、暇つぶしもかねて毎日のようにお店へ入り浸っていましたわ
そして、春休みの強制労働で手に入れたお金で買ったのが、当時の最先端投げ釣りロッドである旧O社の『世紀アマゾン13』でありました。
そう、カーボンロッドの走りであったあの「世紀」でっせ
たしか買値で一万円は超えていたハズで、この「世紀」とDAIWAのリール『スプリンター№2』を大枚はたいて買い求めのでした。
そういえば「スプリンター№2」には確かダブルストッパーなる機構が売り物でありましたが、どんな機構やったかはスッカリ忘れてしまったところをみると、あまり画期的な機構ではおまへんでしてんやろな…。
てなことでぇ~、下の写真がその『世紀アマゾン13』です。
年齢は37歳でっけども、ボロボロになった現在でも当時の最先端ロッドだった誇りが見え隠れしていると思いまへん
あぁ、できるのであれば、このロッドを泉南や淡路島でフルスイングしていた15歳の青い春にいま一度、ホンマにいま一度もどりたおますなぁ~…。