どーも、おじさんです。
お仕事を
されてる方
結果
を
求められるのは
当然
ですよね
ノルマ
という形
目標
という形
努力
という形
数字
という形
色々です。
そこには当然
評価
がつきます。
求められる以上で
A判定
求められる丁度で
B判定
少し足りない
C判定
出来ていない
D判定
のような感じ
です。多分。
子供じゃないので
当然
世の中は
結果が全て
です。多分。
過程に関しては
誰かが見ている
という
抽象的な表現
で表されます。多分。
しかし
おじさんは
ネガティブだから
かもしれませんが
この
誰かが
「見ている」
という意味を
全く違う意味で
考えています。
それは何故か。
例えば
努力家のAさん
が
毎日毎日
出勤前に
職場の清掃を
自らすすんで
行っている
とします。
最初こそ
偉いな
すごいな
助かるな
と思われる
でしょう。
しかしそれが
非日常的
ではなく
日常的
に
周りが見る
としたら
果たして
良い評価
をされるでしょうか。
むしろ
そういう人が
たまたま
体調不良
であったり
精神不調
の時に
出来なかった時
悪い評価に
されると
思っています。
不思議なものです。
人というのは
なんでもかんでも
まず
悪いところ
に
目が行きます。
人は見た目が…
なんて本も
出たくらいです。
お腹が空いて
外食したら
目的はご飯なのに
運んでくれた
従業員さんが
無愛想だった
だけで
ご飯が不味い
気分が悪い
二度と来ない
と
なるのが
今の世の中
です。
だから
体調不良
でも仕事頑張った
は
そもそも
体調不良になるのが
悪い
になり
評価は下がる
わけです。
逆のことは
めんどくさいので
書きません。
過程を経て
結果がある
これは
紛れもない
事実
ただ
過程の中身
こそ
評価されない
努力の塊
なんだと
おじさんになり
悟るわけです。
誰も良いところなんて
見てません。
見たとしても
最初だけ
です。
だからこそ
自分で
自分を
認めて
褒めて
慰めて
良いんだと思います。
そんなことを
言っている
おじさんは
まだ出来て
いませんが。
結果を出したことのない
この人生とは
果たして
どんな意味が
あるのでしょうね。
皆さんは
おじさんみたいに
ならないように
気を付けて
ください。
おわり。