どーも、おじさんです。


では自己肯定感とは

と自問自答して得た

おじさんなりの

答えです。



まず1つ目。

自分のことを嫌い

という大概の人は

それと同じくらい

自分のことが好き

です。



自分の事が嫌いな人は

人一倍他人のことを

見て比べます。

これは絶対です。


じゃないとわざわざ

自分を嫌う理由に

出会えるわけ

ありません。


そして比べるものは

1つだけ

ということも

ほぼ無い

と思います。


つまり

主観客観問わず

自分はこういう人間だ

という

凝り固まった答えが

既にあります。


なので

比較して負けた

という思いの裏側は

でもこの部分は

まだ負けてない

になりがちです。

その部分こそ

自分が好きである

になる理由です。


あとはなんだかんだ

自分がないがしろに

されることを

極端に嫌がる

気がします。


嫌われている

はぶられている

誰もいない


と完全に

割りきれていたら

どう思われようと

関係ないはず

なんです。


それでも

負の感情が

芽生えるのは

自分が好き

なんだと思う

理由でも

あるわけです。




2つ目。

成功体験

失敗体験

分けられないこと

むしろ多い

です。


成功と失敗は

具体的に

試験のように

これ以外は

不合格です

というような

明確さがない限り

存在し得ません。


自分の基準

相手の基準

曖昧さの塊

です。


ちょっと分かりづらい

かもしれませんが

例え話をします。

長いのと

暗いので

線から線までは

飛ばしても良いです。


―――

仮に

Aさん(自分)は

商談

を控えています。


数ある商談のひとつ

ではありますが

成立するに

越したことはない

そんな感じ

とします。


この日に向けて

残業を少しと

同僚にも相談し

色々準備をして

Aさんは向かいます。


その道中、

目の前のご老人が

胸を抑えて

倒れてしまいました。


Aさんは

当然声をかけ

救急車を手配し

ご老人のために

尽くしました。


商談先には

理由を説明し

日を改めてられないか

交渉しましたが

スケジュール的に

当日以外では

無理だと言われ、

商談は破談

となりました。


そして後日

介抱したご老人は

無事に退院した

という結果と

なりました。


はい。

どうでしょうか。

まさかの

あるあるですね。


まず商談先。

単純に

遅刻された

リスケできない内容

ならごめんなさい。

ということ。


続いてご老人。

助かりましたね。


Aさんの会社

残業代は払っており

同僚もわざわざ

時間を割いてくれた

けど破談なので

利益はないです。


そしてAさん(自分)。

全ての結果を

受け止める張本人。


ここでひとつ

簡単にまとめると


成功したこと

ご老人が助かった


失敗したこと

商談不成立の不利益

仲間の善意が無駄になった


と見えた場合

成功1に対し

失敗2です。


仕事として見た

数で表すなら

こうです。


ただ

人として見た

数で表すなら

多分

変わりませんか。

―――


つまり

これだけ

分かりやすい

出来事が

あったとしても

軸が違えば

成功も

失敗も

まるで違います。


そしてその軸を

自己肯定感とした時に

圧倒的に

失敗だと

誰かに思われる数

が優位になり

どんどん自分を

下げてしまう

ということです。


結論

もっと曖昧な出来事が

日常に溢れる中で

ハッキリとした

線引きなんて

できません。


ちょっと長過ぎて

途中ブレてますが

なんかこんな

感じです。


終わり。