『日本霊異記』からのお話を、もう一つご紹介いたしましょう。現在はいろいろな出版社から刊行されていますが、講談社学術文庫ならすぐ手に入ります(写真)。今日は第十九の『法華経』を読む人をあざけり、悪い報いを受けた人の説話です。
奈良時代、山城の国(京都)相楽郡に一人の〈私度僧〉がいました。この当時、僧侶になるには国の許可が必要で、この人のように勝手に僧侶を名乗っていた人を「私度僧」と呼んだのです。名前はわかりませんが、この人はいつも碁ばかり打っていました。どうやら、あやしい私度僧としか思えません。
ある日、この私度僧が知人と共に碁を打っていると、托鉢の僧がやって来て『法華経』を読みつつ、布施を乞いました。私度僧はこれをあざけり笑い、わざと自分の口をゆがめ、声をなまらせ、まねをして唱えました。知人は「恐ろしいことだ」といいながら、碁を続けました。それからというもの、その私度僧はどうしても碁に勝てません。そればかりか、自分の口がゆがんでしまったのでした。医者を呼んで治療をしても、ついに治ることはありませんでした。『法華経』に「法華経を信ずる人を軽蔑して笑う者があるならば、現世で歯が抜け、唇は曲がり、鼻は平らになり、手足はねじれ、目はすがめになるだろう」とあるのは、このことだったのです。そしてお話は、たとえ悪鬼にとり憑かれても、経を読む人をそしってはならない。言葉はよくよく慎むべきであると結ばれています。
弘法大師は病気の原因として、四大不調(身体的な病気)・鬼病(霊的な病気)・業病(宿業の病気)の三つをあげています。四大不調は身体の病気なので、医薬の力によって平癒します。しかし、鬼病や業病は医薬だけでは平癒しません。鬼病はいわゆる霊障から、業病は前世からの因縁による病気で、これらは真言の祈りによって、はじめて平癒するのです。この私度僧の場合は、経典をあざけり、これを軽んじた業病ということになりましょう。
それにしても、たとえ私度僧とはいえ、経典を何と思っていたのでしょうか。因果の報いとはこのことです。『法華経』と托鉢の僧に対し、よほどの懺悔を続けねば口のゆがみは治りません。皆様も、経典や真言を唱える時の訓戒にしていただきたいと思います。決しておもしろ半分に唱えてはなりません。肝に銘じましょう。