大学時代の友人の集まり(我々は四季の会と呼んでいる)の中心的リーダー、我が親友の亡き竹内整一東大名誉教授を偲ぶ会を埼玉県行田市で行った。
みな大学時代の七人の仲間。整ちゃんがいれば八人。
長野県から東京からの中間点あたりということで、私幹事の好みで埼玉古墳群のある行田市でやることとした。
学生時代は夏休みにみな、信州・野尻湖に集うのが恒例だった。
野尻湖近くに、整ちゃんの親戚の家があった。懐かしい。
それは卒業後も続き、五十年、半世紀来の友となり……。
亡き友とのそれぞれの思い出を語り、酒はすすみ、話も酒もは尽きることを知らず、夜は更けていった。
私の思い出語りは、「小学校時代、小布施町へ行く鉄橋をあいつと二人で渡っている時に向こうから電車が! 慌てて走って鉄橋を渡り切った、危なかった! 電車運転手の睨むすごい形相を今もよく覚えている!」と。
翌日、石田三成が本陣を構えた「のぼうの城」の丸墓山古墳、国宝鉄剣が発見された稲荷山古墳を、かつての若者たちがぞろぞろとよく歩いた。
「今度は桜舞い、菜の花咲くころに来たいねぇ…」
「それまでみな生きようぞ、また生きて会おうぞ!」
と、名残惜しく散会。
今度はいつ会えるのか、おれは参加できるのかなぁ。
などと思いつつ、皆と別れた私は、
「ここまで来たのだから」と、ブロ友JOJOさんから教わった逆井城(坂東市)へ向かった。
小田原北条氏が下野・常陸方面侵攻の拠点として、北条氏繁が築城した城という。
駐車場を降りて城内へ歩を進めると、おぉ、これはすばらしい!
天守のような二階櫓は千鳥破風のような造り、二階には簡素ながら欄干が!
井形に組んだ方形材を次々と組み上げた井楼櫓の造りという。
城門や櫓は、中世の当時を模倣したもので、もともとの逆井城の復元ではないという。
すべて板壁で、石垣もない。
当時のまさに小田原北条氏の時代のお城というべきか。それがよかった。
まずは城内案内図に沿って歩いてみた。
二階櫓からその向こうの望楼・見張り台が城塀でつながっている。
こんな感じの城跡が往時の感じが出ている。
望楼もいいなぁ。戦国時代だ。
主殿に入る薬医門は関宿城から移築したという。
主殿もしっかり造られていて庭も整備。
入口に示されていた城全体の見取り図もよく出来ている。
さらに北の本丸跡へ。
本丸は空堀と土塁で囲まれ、北側・西側は川を堀としている。
空堀の底はかなり埋まっているとはいえ、ここを歩くのは楽しい。
本丸と東側の二の丸を繋ぐ橋と櫓。
土塁もよく残っていて歩きやすい♪
本丸北側からの眺望。関東平野は広い。
逆井城は、平城とあるが丘の上という感じか。
西側の堀の外へから城内を見る。
甲羅干ししていた亀さんたちが私の姿を見てか、一斉にバシャ―ンと堀中へ!
このあたりの光景、時代劇じゃ。
いやぁ、楽しいお城巡りだった。
JOJOさん、ありがとうございました。