九州西国行レポを中断して。
寒い!寒い北アルプスからの寒風を避けて古都奈良へと向かったものの。
奈良もけっこう寒くて!
でも京都に比べ、観光客が少なくそれが嬉しい。
天気にあまり恵まれなかったが、まずは唐招提寺へ参らねば。
南薩摩の「和上が日本に上陸した地へ行ってまいりました」とのご報告に。
坊津・秋目浦の、ふる里唐の国を想う鑑真像。
南大門を入って…。
金堂を正面から見るこの景色! すばらしき唐招提寺! たまらんわ~。
鴟尾が…。
この日も参拝者は少なく。
鑑真は波濤を越えて、命を懸けて、戒律の高僧招聘のため唐へ来た普照・栄叡の熱情に応えようと。
「この中に、誰か日本へ行ってくれるものはおらんか」
「………」
鑑真が多くの高弟たちを集め呼びかけたが、みな下をむいたまま。
「誰もおらんか、……ならば拙僧が参ろう」
「!!!、和上! それは…」
鑑真の最初の日本渡海は743年、以来5度の渡航を試みるも。
暴風などに阻まれ、また弟子の渡日阻止活動に阻まれ…、748年には今のベトナムあたりまで船が流され。
その間に栄叡が死去、そしてみずからは失明…。
しかし753年、6度目の渡航でついに現在の南さつま市坊津秋目浦に到着した。
10年、10年もかかって!
開山堂に、今は鑑真の姿像を拝むことができる。
なにか本物の如し。
何が鑑真を日本渡海への強固な意志へともたらしたのだろう?
ついに奈良の都へ着いたとき、普照はいう。
「あぁ、栄叡もいっしょなら…」
「いっしょにいる」と応える和上。
鑑真廟に、千年の時を越えて和上は眠っている。
境内の、講堂・左、金堂・右、鼓楼・中央、の国宝群。
帰途、金堂を振り返って。
この日は、唐招提寺から秋篠寺へ足を延ばす。
誰もいない。
苔がすばらしい。
国宝の本堂は、お目当てでない。
左手から堂内に入るとそこに誰しもがお目当ての伎芸天像がおわしまする。
森閑。
あすは、あすはあの山に登らねば。
昨夏熱暑でダウン撤退した畝傍山へ。