阿蘇だぁ~!
世界一のカルデラだ!
「世界一カルデラ」というイメージが、幼い頃から長く私を誘っていた阿蘇山へ、ついに来た!
外輪山がきれいな平行線をなしている。
阿蘇山のカルデラは南北25キロ、その円内に5万人も住んでるそうな。
なんだ? この山、円墳じゃないわな。
見えたぞ! 噴煙あげてる!
幾重にも重なる火山灰の地層を見ながら、火山灰ソフトクリームを美味しくいただくも、しまった! 写真撮らず。
「火山灰、少し混ぜてあるんですか?」
「!!!(バカカジジィ)」
草千里! 歩く人がまさに蟻のごとし。
広い!
満足、満足!と阿蘇を満喫してながめ、下山して道の駅阿蘇でクマモンに会って、熊本市内へ。
ところが、
私は、のちにまた阿蘇へ戻ってくる。
あの西南戦争で薩摩軍と戦った猛者の会津武士・佐川官兵衛の記念館は、なんと草千里から近い南へ10㌔ほどのところにあったのだ!
「鬼の官兵衛」こと、佐川官兵衛というもののふを、よく知ったのは大河ドラマ「八重の桜」を見てからである。
中村獅童さん扮する官兵衛が強い存在感を示していたから。
そして後年、会津鶴ヶ城にて官兵衛の顕彰碑を見て、強く意識した。
碑には「君がため…」という官兵衛の辞世が刻まれていた。
その時は、
「ぬぬ? 阿蘇? 阿蘇ってどういうことだ? なんで阿蘇?」
官兵衛が九州阿蘇で戦死などとは全く知らなかった。
官兵衛の顕彰碑は、会津若松城東門跡前に立つあの大河ドラマ「八重の桜」主役の、銃を携えた山本八重像の近くだった。
不覚にも今までまったくスルーして見逃していた。
佐川官兵衛直清、会津藩士として藩主・松平容保に従い京へ。
鳥羽伏見の戦いに従軍、その後、故郷会津にて、会津戦争を指揮して戦い、家老に昇進する。
しかし敗戦、降伏、会津藩は下北の地・斗南藩へ、極貧の生活に。
そんな折、警視庁長官の川路利良(旧薩摩藩士)に説得され、官兵衛は旧会津武士を率い、警視庁に出仕、大警部に就任した。
そして会津戦争から9年後、西南戦争勃発、警察官も動員され、官兵衛は九州へ。
阿蘇に布陣して薩軍と戦うも、銃弾を浴び戦死、享年47。
小さいながら南阿蘇村吉田に官兵衛の記念館が。
休館中とあったが「どうぞ、どうぞ」と云われ、いれてもらった。
官兵衛ゆかりの書籍やゆかりの品が数多く集められていた。
「鬼官兵衛記念館」か。
決して鬼のような形相でない、やさしい表情の石像。
記念館から少し行ったところに立つ討死地の碑。
再び、阿蘇の山を眺めながら、遠い地の佐川官兵衛夫妻の墓(福島県喜多方市・長福寺)のことを思い浮かべた。