●阿蘇に死す会津武士 鬼の佐川官兵衛 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

阿蘇だぁ~! 

世界一のカルデラだ! 

 

「世界一カルデラ」というイメージが、幼い頃から長く私を誘っていた阿蘇山へ、ついに来た!

 

 

外輪山がきれいな平行線をなしている。

阿蘇山のカルデラは南北25キロ、その円内に5万人も住んでるそうな。

 

なんだ? この山、円墳じゃないわな。

 

見えたぞ! 噴煙あげてる!

 

 

 

幾重にも重なる火山灰の地層を見ながら、火山灰ソフトクリームを美味しくいただくも、しまった! 写真撮らず。

「火山灰、少し混ぜてあるんですか?」

「!!!(バカカジジィ)

 

草千里! 歩く人がまさに蟻のごとし。

 

広い!

 

満足、満足!と阿蘇を満喫してながめ、下山して道の駅阿蘇でクマモンに会って、熊本市内へ。

ところが、

私は、のちにまた阿蘇へ戻ってくる。

 

あの西南戦争で薩摩軍と戦った猛者の会津武士・佐川官兵衛の記念館は、なんと草千里から近い南へ10㌔ほどのところにあったのだ!

 

 

「鬼の官兵衛」こと、佐川官兵衛というもののふを、よく知ったのは大河ドラマ「八重の桜」を見てからである。

中村獅童さん扮する官兵衛が強い存在感を示していたから。

 

そして後年、会津鶴ヶ城にて官兵衛の顕彰碑を見て、強く意識した。

碑には「君がため…」という官兵衛の辞世が刻まれていた。

その時は、

「ぬぬ? 阿蘇? 阿蘇ってどういうことだ? なんで阿蘇?」

官兵衛が九州阿蘇で戦死などとは全く知らなかった。

 

官兵衛の顕彰碑は、会津若松城東門跡前に立つあの大河ドラマ「八重の桜」主役の、銃を携えた山本八重像の近くだった。

不覚にも今までまったくスルーして見逃していた。

 

佐川官兵衛直清、会津藩士として藩主・松平容保に従い京へ。

鳥羽伏見の戦いに従軍、その後、故郷会津にて、会津戦争を指揮して戦い、家老に昇進する。

しかし敗戦、降伏、会津藩は下北の地・斗南藩へ、極貧の生活に。

 

そんな折、警視庁長官の川路利良(旧薩摩藩士)に説得され、官兵衛は旧会津武士を率い、警視庁に出仕、大警部に就任した。

そして会津戦争から9年後、西南戦争勃発、警察官も動員され、官兵衛は九州へ。

阿蘇に布陣して薩軍と戦うも、銃弾を浴び戦死、享年47。

 

小さいながら南阿蘇村吉田に官兵衛の記念館が。

休館中とあったが「どうぞ、どうぞ」と云われ、いれてもらった。

 

官兵衛ゆかりの書籍やゆかりの品が数多く集められていた。

 

「鬼官兵衛記念館」か。

 

決して鬼のような形相でない、やさしい表情の石像。

 

記念館から少し行ったところに立つ討死地の碑。

 

再び、阿蘇の山を眺めながら、遠い地の佐川官兵衛夫妻の墓(福島県喜多方市・長福寺)のことを思い浮かべた。

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