竜飛岬だぁ! 来たぁ!
と、のんきなこと書こうとしている私なれど。
それにしてもハヤブサ帰還の話、すごいなぁ、すごい!
そして、コロナ患者と懸命にたたかう医療関係者の話、ただただ頭が下がる。
♫~ご覧あれが 竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす~♫
「津軽海峡冬景色」の碑。
彼方に北海道が。
人影少なく、天気晴朗、風つよし。
ちょちょっと、石川さゆりとデュエットしてみたが、声が、声がもう出ず。
でもなんとうまい仕掛けだろうか。
こうして石川さゆりの歌を聞きながら津軽海峡を望めるなんて!
あちこちに立つ竜飛岬の標柱を見ながら高台へ。
だが!
ここ、ここだ。
吉田松陰の詩碑が立つ高台。
これが見たかった。
松陰の燃える魂のようなモニュメントか!
松陰の詩が刻まれているが、これは…。
難しい…。
以下のように刻まれているという。
去年今日發巴城 楊柳風暖馬蹄軽 今年北地更踏雪
寒澤卅里路難行 行盡山河萬夷險 欲臨滄溟叱長鯨
時平男兒空抗概 誰追飛將青史名
これは難しいというより、なんだこれは、全く読めない!
松陰はこのとき23歳、23歳にしてこんな漢詩をつくったというのか!
このころの松陰は、松下村塾で教鞭をとる前、まだ全く無名のころ。
日本の国情を憂えてる、嘆いている詩という。
すごいなぁ!呆れる!
巴城=萩 夷=蝦夷 長鯨=異国? 抗概=悔しい?
飛将=勇敢な将 義経? 青史=歴史
……雪の津軽半島で難行の山河越えで、北海道を見た。(竜飛岬までは来てないらしい)
海峡に往来する外国船を見てこんなことでいいのかと嘆く。
義経?のようなこの歴史・事態を変えていく武将・人物よ、だれか!……
などと、いいかげんな訳を…。
周知のごとく後に松陰は、弟子の金子重之輔とともに、伊豆下田にてペリーの黒船への密航を企てる。
この勇者の行動力には今も昔も魅了される。
そしてつくづく思う。
もし、ペリーが松陰をアメリカへ連れて行ってくれたら、もし!
伊豆下田に立つ松陰像。
若き勇者のなんといい表情か。
松陰が眠る東京・世田谷神社の松陰像。
これもまた聡明な顔立ち。
萩の松陰。
左・高杉晋作、右・久坂玄瑞。
これはいささか老けてるが、二人の師匠だから。
松陰の全国に残した足跡の史跡も多い。
残念ながら我が信州には来ていないが、長野市松代の、松陰の師・佐久間象山を祀る象山神社に胸像が立っている。
あちこちで出会った松陰さんを思い出す。