愛知県新城市から北上する信州への帰り道。
長篠古戦場にちょっと寄り道。
いつだったか長篠古戦場は、曼珠沙華の花で埋まっていたなぁ。
馬防柵。
昔と違って、第二東名高速道が向こうにみえる景観がなんとも複雑不満。
馬防柵からはいささか遠いこともあって、最近スルーしていた真田信綱・昌輝兄弟の墓所へ。
ほほ、ちょうどいい具合いに野生の(だと思う)柿がなっていた。
三つ採って(野生でなければスミマセン)、1つ毒味、やった、甘い!
残り2つを兄弟の墓前へ供える。
線香も久しぶり。
長篠の合戦には、父・真田幸隆、三男昌幸は参陣しなかった。
兄弟二人とも、あの真田信繁(幸村)の叔父にあたる。
真田家は嫡男・信綱が真田を継いでいたが、この後、昌幸が継ぐ。
墓所が高い位置にある。正面中央に家臣の墓とともに並ぶ。
こっちはかつての夏の写真。
「アッ、前のクルマだ」
「高速道路、ジャマだわな」
……「兄者、敵はなぜ次々と鉄砲を撃てるんじゃ!」
……「わからん! そのわずかな合間に突っ込むじゃ!」
なんて激戦中の兄弟の叫びが聞こえてきそうなくらいあたりは静か。
ここには二人の胴が埋められ、首級は家臣の白川勘解由兄弟が奪い返し、信州に持ち帰ったという。
享年信綱39、昌輝33。
上田の真田資料館に幸隆、信綱、昌輝の絵が。
上田の信綱寺に兄弟は並んで眠っている。
左から信綱夫人、信綱、昌輝の墓塔。
長篠の兄弟墓所から帰り道を北上。
古戦場からやや離れた武田軍の敗走した道筋の豊川の河畔。
道端にクルマが停めにくかったし、しかもかなり登りそうなのでつい今までは通過していた。
今回はクルマを停めた。
「馬場信房(信春)討ち死の地」へ。
あの武田四名臣の一人にして、「鬼美濃」と畏怖された人。
墓所は、長篠城の近くにあるのだが、討たれたのはここという。
細い道を恐る恐る登った。
急斜面に石碑が立っていた。
意外と近かった。
あるじ勝頼を逃すため、信房はこのあたりで最期の陣を構えて楯となり、戦い抜いた末、ついに討ち死したという。
ちなみに信房の墓所は、故郷の山梨県北杜市の自元寺にも。
長篠から信州・伊那谷へぬける道は、信玄の遺骸を黙々と運んだ道筋。
そして勝頼もまた肩を落として…。
信玄が息をひきとったという根羽村に信玄塚が。
その国道沿いに描かれている武田騎馬軍団が疾駆する巨大なコンクリート壁画。
何度も何度も通るのだが、ここはクルマを停めないわけにはいかない。