物語的、劇画的な銅像群、第二弾です。
新潟県長岡市の県立近代美術館前広場に、ずらり立ち並ぶいかつい武士たち。
中央に端座して右手を前にあげ、
「うんにゃ、ならねえだ!」と、小林虎三郎。
「うるさい! さっさと米をわけろ、みな飢えてるのじゃ!」
刀に手をかけ威嚇する武士たちを抑え、説いている。
このとき、虎三郎は、長岡藩大参事。
我が信州の佐久間象山門下にて、吉田松陰と「象門の二とら」といわれた英才。
親戚藩から分与された米百俵を藩内で分けず、売ってその金で学校を作り、将来に投資するんじゃと、虎三郎はガンとしてその信念を譲らなかった。
かつて小泉元首相は、「耐える、ガマンする」ことでこの話を力説した。
肝心なことは、学校を作って人材を育成するという虎三郎の確固たる信念、これをを強調してほしかった。
●さて、もう一人のとら、寅二郎・吉田松陰は、伊豆・下田の海岸に。
弟子・金子重之輔とともに、下田に停泊するペリーの船にいざ乗り込もうとしている。
二人の決意固い表情がいい。
左が松陰、右が重之輔。
二人が一時乗り込んだサスケハナ号は観光船となって、目の前で下田湾内に浮かんでいる。
ああ、もしこの二人、あのままアメリカへ渡っていたら…。
●「あのお茶の話って、あれって石田三成のことだったんですか、知らんかった~」
と、よく云われる三碗の才、三献茶の像。
滋賀県長浜駅前に、秀吉と前髪姿の石田佐吉が。
佐吉どんの表情がかわいい。
「最初はぬるめをたっぷりと……、二杯目はほどよい加減で半分ほど…、三杯めは、舌が焼けるほどを三分の一」ですよね。
●さて北陸へ。
安宅関にて、この三人の姿像は見逃せない。
目の前に日本海の白波が押し寄せる目前に。
あの「勧進帳」の緊迫の場面が。
左から、義経、弁慶、そして関守の富樫。
主役は、弁慶。
富樫の前で、きびしくあるじ義経をなじり、打擲する弁慶。
あまりのものすごさに、富樫は、「もうよい、はよう立ち去れ!」
●そして弁慶は、義経の前にひざまづき、涙ながらに謝罪。
「もうよい、もうよい弁慶。わしは打たれる痛さのたびにおぬしに感謝しておったぞ」……、うわ~ん、泣ける、泣けた~。
安宅関すぐ近くの能美市道林町にその場面の像が。
かくして義経一行は北へ旅を続けるのだが…。