●光秀を祀る明智神社へ、不遇の時代に住んだという地へ | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

久々、福井市東大味の明智神社へ。

ところがなんと、さ来年は、ついに「大河光秀」だというのに。

光秀評判が最悪だった時代も、ずっと一貫して明智神社の堂守りをしていた土井内さんが亡くなっていた。

無念である。

電話で熱く光秀を語っていたのに。

13年も前になる。

明智神社の由来という手作りの冊子を送っていただいた。

大河光秀の話は、きっと大喜びだったに違いないのに。

 

信長の越前一向一揆掃討戦の中で、光秀はそっと東大味の、西蓮寺周辺の住民を助けてやったという。

西蓮寺にはその文書が寺宝として保管されているという。

光秀は朝倉氏に仕えていたころ、この東大味に住み、後のガラシャ夫人ら娘達も世話になった人々の恩を忘れず、恩返しをしたというのだ。

信長に知れたら、大目玉を食らっていたであろうに。

本能寺の変の10年ほど前の話である。

 

そして光秀の評判をぐーんとあげるきっかけとなった、妻・煕子との夫婦愛の地、坂井市丸岡町の称念寺

東大味から北へ10㌔ほど。

因みに称名寺は、あの新田義貞の墓所として名高い古刹。

 

芭蕉はその明智夫婦愛の話を知り、後に門人夫婦に詠んでやった句。

「月寂びよ 明智が妻の はなしせん」

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