●奥州平泉に向かう義経一行に出会った「念珠の関」 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

出羽に来たならばここに寄らねば。

古代の奥羽三関」のうち、念珠(ねず)の関

あれ、こっちがあの義経・勧進帳の本家の関所ということか??

 

かくして、常陸の勿来の関、

磐城の白河の関、

 

 

ついに羽前の念珠の関の三関を踏破! 

やったぁ!おめでとう(自分で自分に言うあたり泣ける)

             

 

しかしあの勿来の関は、さまざまな歌人・俳人が詠んだのに、ここ念珠の関はあの芭蕉すら句を残していないみたいで残念。

なんか感慨ってなかったのだろうか。

 

越後に入るとあの名句、「荒波や 佐渡によこたう 天の川」と詠んでいるのに。

 

ところが街中で、「義経上陸の地」の記念碑を発見。

記念碑の傍らに、作家・村上元三氏の話などが記されていた。

当初、村上氏は義経上陸に確証がなかったそうだが、後に確証を得て、この碑が立てられたとか。


海辺にも上陸の碑。

海が暗くて残念。

 

そうか、都を逃れて北陸路を奥州に向かった義経一行は、加賀・安宅関を弁慶の勧進帳で突破、そして、

越中の雨晴海岸あたりから舟で、北に向かったのか。

そして念珠の関へ着いたか。

 

 

さっきのは近世、ここが古代の念珠の関があったところという。

今は碑が建つのみ。

 

どういうわけか、どうしても写真がタテになりません。

スミマセン、首を曲げてくだされ。

「鼠の関」と刻まれてます。

 

すぐ近くに、羽前と越後の国境、山形県と新潟県の県境の碑が。

写真を撮っていると、おっととと、おいおいサツパトカーが向こうから来るじゃないか。

街中をウロウロ徘徊する怪しいもののふ・列伝をまさか捕縛に?(ケッシテユミテッポウハオビテイマセン為念)

 

街中には義経一行が泊まったという家が。

ずっと言い伝えられてきたのだろうか。

 

ここから義経や弁慶、伊勢三郎たち一行は、陸路平泉へ向かった。

 

とはいえ、奥州・平泉まで山越え谷越え、ざっと200キロ、まだまだ遠い。

しかし都からの旅と考えればもうすぐ、がんばれ義経!

 

芭蕉さんが詠んでいないのならば、致し方ござらぬ。

列伝がここで一句。

義経の 頬ゆるむ地ぞ 念珠の関 キマッタ!

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