出羽に来たならばここに寄らねば。
「古代の奥羽三関」のうち、念珠(ねず)の関。
あれ、こっちがあの義経・勧進帳の本家の関所ということか??
かくして、常陸の勿来の関、
磐城の白河の関、
ついに羽前の念珠の関の三関を踏破!
やったぁ!おめでとう(自分で自分に言うあたり泣ける)
しかしあの勿来の関は、さまざまな歌人・俳人が詠んだのに、ここ念珠の関はあの芭蕉すら句を残していないみたいで残念。
なんか感慨ってなかったのだろうか。
越後に入るとあの名句、「荒波や 佐渡によこたう 天の川」と詠んでいるのに。
ところが街中で、「義経上陸の地」の記念碑を発見。
記念碑の傍らに、作家・村上元三氏の話などが記されていた。
当初、村上氏は義経上陸に確証がなかったそうだが、後に確証を得て、この碑が立てられたとか。
海辺にも上陸の碑。
海が暗くて残念。
そうか、都を逃れて北陸路を奥州に向かった義経一行は、加賀・安宅関を弁慶の勧進帳で突破、そして、
越中の雨晴海岸あたりから舟で、北に向かったのか。
そして念珠の関へ着いたか。
さっきのは近世、ここが古代の念珠の関があったところという。
今は碑が建つのみ。
どういうわけか、どうしても写真がタテになりません。
スミマセン、首を曲げてくだされ。
「鼠の関」と刻まれてます。
すぐ近くに、羽前と越後の国境、山形県と新潟県の県境の碑が。
写真を撮っていると、おっととと、おいおいサツパトカーが向こうから来るじゃないか。
街中をウロウロ徘徊する怪しいもののふ・列伝をまさか捕縛に?(ケッシテユミテッポウハオビテイマセン為念)
街中には義経一行が泊まったという家が。
ずっと言い伝えられてきたのだろうか。
ここから義経や弁慶、伊勢三郎たち一行は、陸路平泉へ向かった。
とはいえ、奥州・平泉まで山越え谷越え、ざっと200キロ、まだまだ遠い。
しかし都からの旅と考えればもうすぐ、がんばれ義経!
芭蕉さんが詠んでいないのならば、致し方ござらぬ。
列伝がここで一句。
「義経の 頬ゆるむ地ぞ 念珠の関」 キマッタ!
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