二木重高 下の巻
中塔城に立て籠もった長時・重高は武田勢に包囲されたが、城兵は意気盛ん、籠城戦は半年にも及び落ちなかった。
その間信玄の降伏勧告をガンとして拒否し続けた長時だった。
だがついに城を脱出、越後の上杉謙信を頼った。
城を去るにあたって長時は、これまでの重高の忠節に感謝し、
「必ずや復帰する。その時まで武田に仕え待っていてくれ」
と言い残したという。
中塔城↓は松本平を東流する黒沢川上流の南、比高400㍍余の急峻な山城である。
遺構は残っているようだがとても登れない感じがする。
その後重高は信玄に帰参した。
多くの信濃衆が早々降った中、長時に忠義を貫いた重高を評価したのか信玄はこれを許した。
こんな逸話が残っている。
ある時、信玄に「重高に叛意あり」との密告がもたらされた。
直ちに信玄は、重高を甲府の躑躅ヶ崎館↓への出頭を命じた。
そこで重高を訴えた洗馬の三村氏と対決したが、重高は堂々と身の潔白を証明した。
そればかりか後に三村氏が武田に反旗を翻した時、重高は即座に出陣、三村氏を討ったという。
重高の没年は不明である。
しかし子の重吉(しげよし)はよく父の心意を汲み取っていた。
武田、そして織田が滅んだ後、動乱の信州の中で長時の嫡子・貞慶をもりたて、府中(松本)の城主に返り咲かせた。
残念ながら長時はすでに没していた。
重吉は長時の孫の松本8万石藩主となった小笠原秀政のもとで家老職に栄進している。
次の巻は、本多忠勝。
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