●巻101 二木重高伝 下の巻です | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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二木重高 下の巻

中塔城に立て籠もった長時・重高は武田勢に包囲されたが、城兵は意気盛ん、籠城戦は半年にも及び落ちなかった。

その間信玄の降伏勧告をガンとして拒否し続けた長時だった。

だがついに城を脱出、越後の上杉謙信を頼った。

 

城を去るにあたって長時は、これまでの重高の忠節に感謝し、

「必ずや復帰する。その時まで武田に仕え待っていてくれ」

と言い残したという。

 

中塔城↓は松本平を東流する黒沢川上流の南、比高400㍍余の急峻な山城である。

遺構は残っているようだがとても登れない感じがする。

 

その後重高は信玄に帰参した。

多くの信濃衆が早々降った中、 長時に忠義を貫いた重高 を評価したのか信玄はこれを許した。

 

 こんな逸話 が残っている。

ある時、信玄に「重高に叛意あり」との密告がもたらされた。

直ちに信玄は、重高を甲府の躑躅ヶ崎館↓への出頭を命じた。

そこで重高を訴えた洗馬の三村氏と対決したが、重高は堂々と身の潔白を証明した。

そればかりか後に三村氏が武田に反旗を翻した時、重高は即座に出陣、三村氏を討ったという。

 

重高の没年は不明である。

しかし子の重吉(しげよし)はよく父の心意を汲み取っていた。

武田、そして織田が滅んだ後、動乱の信州の中で長時の嫡子・貞慶をもりたて、府中(松本)の城主に返り咲かせた。

残念ながら長時はすでに没していた。

 重吉は長時の孫の松本8万石藩主となった小笠原秀政のもとで家老職に栄進している。

次の巻は、本多忠勝。

 

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