今回の北関東の旅の一番の目的は、勿来の関所址。
しかし義家さんの歌の他にズラリ14もの歌碑が関所の山道の左右に。
義家さんの騎馬像が迎える関所の門から入っていくと。
石畳の道に沿って歩いて行くと。
その中で、和歌の訳を読んで、あらためて平安の女流歌人の繊細な心を知る。
まずあの小野小町の歌碑。
「海松布(みるめ)刈る 海女の往来の 湊路に 勿来の関を われすえなくに」
だって。
資料館の中から、ガラス窓越しに太平洋を見ながら、この歌が読めるようになっていた。
そして和泉式部の歌碑。
「勿来とは 誰かは云いし いわねども 心にすうる 関とこそみれ」だって。
まったく意味わかんねぇ、訳せねぇ。
よって文学資料館の資料から訳をいただく。
小野小町の訳は、
「海松布(海草?)を刈る海女(私?)が行き来する港に、勿来(来るな)なんて関(壁)は据えてないのに、あなたは会いに来てくれないのね」
だって。
湊路=みな閉じ、と掛けてるとか。
むむ、すごいというか…すごい。
小野小町って、美女だけのイメージだったが。
和泉式部のは、
「来ないなんて誰が云ったというの。だれも云ってないわ。あなたが勿来の関みたいな心の隔てを作って、私に会いに来ないだけでしょ」だって。
「会いにいけない」という返事を聞き、「勿来の関はあなたの心の中にある」と相手につきつけながら、柔らかい表現にしているとか。
ったく、なんたる細やかな情緒というか、すごいというか。
源義家よりも前に、こんな著名な歌人が詠っていたなんて初めて知った。
なこそ・勿来=来るなかれ、別れ、会えないなどの情がこの地へ来なくても、勿来という地名を知って都で詠めたということか。
「なこそ」とはいい言葉だったのだろう。
だがやはり私は義家さんの、
「吹く風を 勿来の関と思えども 道もせに散る 山桜かな…」
の歌がいい。
やはりこの勿来の関の現地にて詠った義家さんの歌がいい。
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