●北関東の旅11 勿来の関を詠った小野小町、和泉式部の歌は繊細というかすごいというか | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

今回の北関東の旅の一番の目的は、勿来の関所址

 

しかし義家さんの歌の他にズラリ14もの歌碑が関所の山道の左右に。

義家さんの騎馬像が迎える関所の門から入っていくと。

 

石畳の道に沿って歩いて行くと。

 

その中で、和歌の訳を読んで、あらためて平安の女流歌人の繊細な心を知る。

 

まずあの小野小町の歌碑。

海松布(みるめ)刈る 海女の往来の 湊路に 勿来の関を われすえなくに

だって。

資料館の中から、ガラス窓越しに太平洋を見ながら、この歌が読めるようになっていた。

 

 

そして和泉式部の歌碑。

勿来とは 誰かは云いし いわねども 心にすうる 関とこそみれ」だって。

 

 

まったく意味わかんねぇ、訳せねぇ。

よって文学資料館の資料から訳をいただく。

 

小野小町の訳は、

「海松布(海草?)を刈る海女(私?)が行き来する港に、勿来(来るな)なんて関(壁)は据えてないのに、あなたは会いに来てくれないのね」

だって。

湊路=みな閉じ、と掛けてるとか。

むむ、すごいというか…すごい。

小野小町って、美女だけのイメージだったが。

 

和泉式部のは、

「来ないなんて誰が云ったというの。だれも云ってないわ。あなたが勿来の関みたいな心の隔てを作って、私に会いに来ないだけでしょ」だって。

 

「会いにいけない」という返事を聞き、「勿来の関はあなたの心の中にある」と相手につきつけながら、柔らかい表現にしているとか。

 

ったく、なんたる細やかな情緒というか、すごいというか。

 

源義家よりも前に、こんな著名な歌人が詠っていたなんて初めて知った。

なこそ・勿来=来るなかれ、別れ、会えないなどの情がこの地へ来なくても、勿来という地名を知って都で詠めたということか。

「なこそ」とはいい言葉だったのだろう。

 

だがやはり私は義家さんの、

吹く風を 勿来の関と思えども 道もせに散る 山桜かな…」

の歌がいい。

 

やはりこの勿来の関の現地にて詠った義家さんの歌がいい。

 

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓