●勝頼に勝算あった長篠。しかし信長はもっと慎重に… | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

長篠で「勝頼大敗!」だったとはいえ、それにしても武田軍の陣地跡を「信玄台」また武田方の戦死者供養塚を「信玄塚」とは。

いくらなんでもそれでは勝頼があまりに…。

勝頼は決して無謀に信長・家康の3倍近い大軍に突っ込んでいったわけではない。

それなりに勝算があったはず。



3倍もの大軍に対しての合戦は、午前6時に始まり、完敗・潰走までおよそ9時間もの間、
この間ずっと戦い続けた。

しかも相手には数千挺の鉄砲があったのだ。

いかに武田が途中まで対等に善戦してよく戦っていたかを物語る。

勝敗を決したのは兵卒数の差で、鉄砲ではなかったのだ。

武田方死者1万、織田・徳川方6千!

これが武田の強さを如実に示す。

穴山隊など武田一門衆が退却せず、いつも通りの常道の合戦のごとく、後詰から突撃していたならば勝ったのではなかったか。

通常の武田の合戦をしていたならば…。


勝頼は無茶苦茶に、無謀に突撃を命じた。ゆえに負けた…」
というのは、やはり結果論だと思う。

映画「影武者」などで、馬防柵の前で次々と味方が壊滅しているのに、勝頼ががむしゃらに突撃を命じている姿は印象に強い。

そして、「あれじゃ、負けるに決まってる、あ~あ」。

ともあれ長篠敗因を探るのはたやすい。
それはもうやめよう。

 

 

無念で悔しいが今は、信長の慎重にまで慎重の、勝頼に「勝つ」作戦をまた見よう。

生徒のみならず現代の我々にじっくりと考えさせる作戦をまた。

慎重に慎重を重ねた策を考えたからこそ大勝利したのだ。
この策を名付けて「長篠必勝七段構え作戦!」

無敵の武田軍団が織田軍団に突撃せざるを得ない状況に追い込み、ついに壊滅させた信長の作戦とは? 
作戦1 まず武田軍より3倍近く多い3万8千の大軍勢を動員。

→「しかし殿、我らの大軍を見て、武田が恐れ、かつ慎重に退 
      却したらどう
しまする?」
作戦2 そこで我が軍の佐久間隊が、合戦中に裏切るというニセ情
      報
を敵方に流して
おくのじゃ。

→「しかし殿、そのニセ情報が見破られ、更に敵に慎重論が出  
 たら攻めて来ませんぞ。(トノモアマイノデハ!)

作戦3 よって、家康家臣・酒井忠次の提言を取り入れ、敵の長篠城包囲隊に夜襲をかける。さすれば後方からの襲撃にあわてた、武田は前面に押し出してくるはず。

→「なるほど!あわてるのでなく、もともと天下無敵と自信満々の武田軍。間違いなく相手が4倍の大軍であろうと突撃してきましょうぞ。いや突っ込んで来ざるを得ないわ。さすが殿じゃ!」(ゴリゴリゴマ)

作戦4 そこを3000挺の鉄砲、1000人ずつの3段構えで連射!
    →「これはすごい! しかし殿、武田の騎馬密集軍団が怒濤のご
    とく突っ込んで
きたら、鉄砲準備も間に合わず、我ら鉄砲もろとも
    蹴散らされてしまうのでは
…」(コレホドタケダハコワイノダ)

作戦5 そこでじゃ、わしは考えた。騎馬をいったん立ち止まらせるた
    めの馬防柵を三
重に作り、馬が一旦停止したところをそこを狙い
    撃つ(コリャスゲェ!)
    →「なるほど、それなら狙えやすくあたりやすい。しかし殿、当日 
    雨なら、
3000の
火縄銃の効果がなくなってしまうのでは…」
作戦6 「わしは以前から地元の農民などに雨のない日を予測させ、
    合戦はできる限
りその日に合わせるよう、時間調節しながらゆっく
    り岐阜を出立してきたのじ
ゃ」
    →「ウーン、さすが殿はすごい! しかしもし、雨が降った時は?」 
作戦7 「ウム、火縄銃の点火材料を、でなく雨に比較的強いとい  
    う木綿をできうる
限りの銃に仕込んだ」
    →「すげぇ! 我らが殿は、万全だ。これなら負けるわけない!  
    間違いなく武田は突撃してくる、これなら勝てまする!」
  
いかがでしょう、こんな推理解説は? 
信長と秀吉の会話風にしてみましたが()
上写真左は、勝頼が最初に本陣を置いた医王寺。
右は信長が本陣を置いた茶臼山。