●反乱者・平将門は庶民の味方だった?…教科書は? | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

 ご飯をポロポロこぼす将門、髪の毛を結わずに客と応対する将門。

その姿は絵本の「田原藤太ものがたり」に描かれていた。

記憶に鮮明だ。

田原藤太=藤原秀郷は、大むかでを退治し、反乱者・将門を討った英雄だった。

だが国家への反乱者・逆賊の将門なれど、「将門記」には、

「侘び人を助け、便りなき者を顧みて、しかして力つくす」

と、記されている。
つまり将門は、困っている者を救い頼りのない者の面倒を良くみて、力を貸してやったというのだ。

となれば本来ならば、もっと優しい顔のイメージなんだろうが。

写真左は坂東市の将門公苑の将門像。
そう、こんな荒武者姿がなんとなく一般的か。
右は大河ドラマで加藤剛さんが扮した将門。
これはイメージを変えた!
  
教科書は、
「平将門は下総を根拠地として一族と争いをくり返すうちに、国司とも対立するようになり、939(天慶2)年に反乱を起こした(平将門の乱)
将門は常陸・下野・上野の国府を攻め落とし、東国の大半を占領して新皇と自称したが、同じ東国の武士の平貞盛・藤原秀郷らによって討たれた。」

と記す。


ま、ふつうに読めば、朝廷・天皇に刃向かった反乱者。

しかも恐れ多くも「新皇」などと称するとは。

庶民・民衆のために身体をはって闘ったなどとは、教師が力説でもしなければ想像だにできない記述。

その意味では、30数年前の「将門が大河ドラマの主役!」は、かなりの「将門イメージ革命」だった。

その時購入した赤城宗徳氏の「将門記・真福寺本評釈」は、今回列伝を書くにあたって大助かりだった。

よって将門を強力に援護してやりたいのだが、将門にも、やはり現代の政治・社会にも共通の、あの問題が横たわっていた。
そう、あの人事の問題…。

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 ◆◆◆登場するもののふ 五十将星◆◆◆

 坂上田村麻呂  平 将門  岡田親義    手塚光盛    

 根井行親   今井兼平  木曽義仲    

 木曽義高   佐々木高綱  熊谷直実  梶原景時  

 源 頼朝  北条国時   北条時行   宗良親王 

 

小笠原長時 村上義清   武田信繁   山本勘助   

 馬場信春  高坂昌信  武田信玄   上杉謙信  

 木曽義昌  仁科盛信  依田信蕃  織田信長

 明智光秀蹶起の真因は信州?

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 仙石秀久 真田昌幸   真田信繁   真田信之  

 小笠原秀政 福島正則 花井吉成 

松平忠輝    保科正之   

 赤埴源蔵信州出身の四十七士にて候

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 中岡慎太郎 赤松小三郎  堀 直虎  相良総三