●福島正則の弟にも悲劇が…さて、正則公の生まれ故郷愛知県あま市二ツ寺。寒風をさして、名鉄七宝駅を降りて北へ。我は濃尾平野の田園を敢然と行った! 「寒い!」のなんの。正則保育園・正則小学校をへて、菩提寺の菊泉院へ。ここには古くに描かれた正則公画像があるという。いきなりの訪問だったから「すみませんが」と断られてしまった。 境内に供養塔。すぐ近くに誕生地の石碑。あたりの街並や街路は江戸時代の雰囲気。 そして蟹江川にかかった橋名は正則橋だった。 正則橋から西南へ。更に更に寒風をさして、周囲水田の道をひたすら修行僧のごとく歩く。なんとときどき雪が舞うではないか!「おい、ここは?信州ではない尾州のはず!風よ、とまれ!」と叫ぶとときどきやんでくれた(笑)。美和町図書館に転がり込む。ほっとして郷土資料など漁ってると。「なぬぅ? 福島高晴だって? 正則の弟? そんな人いたんだ」「なんと三万石城主だった? 大坂夏の陣後に改易されただと?」おいおい何も知らんぞ。