●北条一族全滅せず | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

今日のフォト弐枚

北条一族東勝寺にて壊滅!と思われたが


熱く散って逝ったもののふ達へのフォト・レクイエム  写真は鎌倉・宝戒寺と通称「腹切りやぐら」。


 宝戒寺は「萩の寺」として知られるそうだが、ここに代々北条執権邸(あるいは得宗邸か)があったという。

 しかし新田義貞の鎌倉攻めですべて焼失。


 最後の執権北条高時ら一族はすぐ近くの東勝寺にて800人余が滅亡した。


 後に焼失した執権邸跡に足利尊氏が北条一族の菩提を弔う宝戒寺を建立。 


 東勝寺跡は今もさら地のまま。                               
熱く散って逝ったもののふ達へのフォト・レクイエム
 奥の「腹切りやぐら」は意外と小さい洞穴。

 昭和になって一帯から出土したおびただしい人骨をここに祀った。

 この洞穴で腹を切ったわけではない。


 それにつけても一つの時代の終焉になんと多くの命が失われることか。源平も、戦国も、幕末も…。


 しかし北条一族はこの時全滅ではなかった。

 

 高時の一子・北条時行は信州へ逃れ後に中先代の乱を起こすことに。

 当時7歳くらいか。