モータースLIVEのホームページに

こんな文章を載せました。


ちょっと長いでず

是非お読みください。





100シーズン目のモータースLIVE、ありがとうございました。

 
今年のうちにはお礼をと思っていながら大晦日になってしまいました。
申し訳ございません。
 
これまで足を運んで下さったみなさんのおかげで
100か月の間、若手お笑い芸人たちの修練の場として存在できました。
 
『とにかく面白くなる』
 
このシンプルかつ最も難しい目標を掲げているのが
モータースLIVEです。
 
当初は芸歴3年目以内の超若手のみでスタート、
笑いのない3分間が何組も続いたことも…。
約20組、太田とワタナベの若手ばかりの中、
唯一別の事務所だったのがさすらいラビー。
そして今、
唯一コンビで出演し続けているのがさすらいラビーです。
 
毎回最後の企画コーナーで何をするか、マシンガンズ西堀と千駄ヶ谷で打ち合わせを重ねていたのですが、
どスベリした出演者の一人がなんとかしようと企画と関係なく腰を振り続けて
地獄の空気になったこともありました。
 
優勝特典が劇団ひとりとマシンガンズのラジオへの出演権だったのですが
みんな緊張しまくって空回りがほとんどでした。
うまくいかずに収録後、
悔し涙を流していた奴もいました。
 
ブルゾンちえみがブレイクして卒業する回では
普段お笑いライブではあまり見かけないファッションの人達が新宿レフカダに押し寄せました。
 
それ以上にお客さんが来てくれたのはハナコがKOCで優勝した翌月の回。
過去最高の入場者数になりました。
 
M-1優勝前には錦鯉もよくMCに来てくれました。
何がみんなと違ったかって、
声の大きさ、迫力、圧。
 
そんな先輩達に追いつけ追い越せと
コロナ前は毎月DVDを観ながら反省会を開いていました。
そこに毎回来ていた青色1号がどんどん面白くなっていき
ゴッドタンに出演しますと連絡がきた時、
うれしくて劇団ひとりに
よろしく頼みますと思わずLINEを入れました。
今はネタ見せ会を毎月開いています。
 
解散してライブを抜けるという
1年目の人間に
あなたのやり方は間違っているとグループLINEで痛烈に批判されたこともありました。
かなり凹んでいたら
他の出演者たちが
間違ってない
と励ましてくれました。
 
 
今年は
僕の人生の中でも最も悲しいできごとが起こりました。
ちょうど5月のライブの真っ只中。
やるしかないと会場のしもきたドーンに向かいましたが
ただただライブを滞りなく終わらせることで精一杯でした。
終演後、帰り支度をしていると
その日は出演しておらず別仕事だった
サツマカワRPGがわざわざ来てくれました。
平然を装って
「どうしたんや?」
と僕。
「大丈夫かなと思って」
温かかったなー。
ただ顔を見せてくれることがこんなに支えになることを教えてくれました。
 
その後もたくさんの出演者から励ましの言葉をもらいました。
あえて触れない優しさを感じることもありました。
 
そして5月シリーズのライブ最終日のミネルヴァ、
ちゃんぴおんずの馬鹿馬鹿しすぎるほど馬鹿馬鹿しいネタで
大爆笑させてもらいました。
あんな悲しいことがあっても
やっぱり笑うことができる。
笑うと前を向くことができる。
忘れられないライブになりました。
 
それから数日後
ストレッチーズがツギクル芸人で優勝したときは
何か不思議な巡りあわせを感じずにはいれませんでした。
もちろん彼らの力がすべてなのですが。
 
生前、上島さんは
モータースLIVEに何度か足を運んでくれました。
そして
「どういう心持でたくさんの若者と対峙していけばいいのか」
という悩みを聞いてくれました。
上島さんは
「いろんな奴がいるんだから正解なんてあるわけない。
ただ真面目に一生懸命やるべきことをやるだけじゃないかな」
と穏やかに言いました。
誰にでも当てはまる若手育成の方程式は存在しない。
ただ、もし間違っていたとしても
自分が相手にとってよかれと思うことを全力でやるのみ。
激しく同意して
後押しをしてもらいましたし
これからもその気持ちを忘れずに
モータースLIVEを続けていこうと思っております。
 
101回目以降も
是非とも直にお笑いを感じて
若手たちが芸人へと成長していく様を
応援しに来てもらえればと思います。