地下鉄九条駅の降りて南東に松島という不思議な地域があります。

素敵なお嬢さんが店の前で顔見世、彼女達はお店の女中さんで話次第ではこの女中さんと自由に恋愛が楽しめる所。ですがここは西区九条1丁目。松島という地名は現在ありません。

今の千代崎1〜2丁目が明治期に出来た松島遊廓です。しかし、昔の松島廓は戦災で跡形もなくなってしまってます。その地名は松島公園・球場にだけ残されてます。その松島は堀江同様、上方芸能で恐るべき場所だったんです。

松島遊廓は明治2年(1869年)に開設された遊所で場所はみなと通りの東側、今の住所では西区千代崎1丁目にありました。
新町遊廓が火災で消失、多くの娼妓が新町より移転してきました。戦前、松島は遊廓ではありましたが西の心斎橋と言われる位に商売や芸事の盛んな所でした。

松島八千代座、松下幸之助がこの前でお見合いしたのは有名です。この八千代座は1872年4代文楽軒の建てた松島文楽座でした。いま、人形浄瑠璃を「文楽」と言うのはここに文楽座が出来た時から。世界文化遺産の「文楽」という名前はここで生まれました。今年2022年は文楽命名150年の當り年です。
これも1872年、松島大芝居開業の図 
市川右團次は今でも継承されてます。
堀江に続き西区劇場地図
文楽・歌舞伎の大きな劇場から落語・講談諸芸の席まで今なら道頓堀と日本橋と上六が一緒になったような劇場街です。この地図には劇場しか記載されてません。寄席小屋のような小さな小屋は数多くありました。
松島文楽座⇒松島八千代座は現在スーパー玉出九条店あたり。
大阪最後の講談定席「日の出席」は1871年の開業。
南陵の名前が見えます。この南陵は二代目

千代崎橋と料亭いろは、いろはの大きな建物の隣が松島花月。千代崎橋が架かるのは木津川、手前の川は埋め立てられた堀江川。
松島花月正面から。

浪花節の松島広澤館

映画館も沢山ありましたが今はシネヌーボー一軒のみ。市電花園橋停留所は1873年大阪市電発祥の地。今は九条新道バス停。
九条新道はナインモール商店街、九条八千代座と松島八千代座は別物。

立体地図で見ますと、千代崎橋の所で木津川と堀江川が合流してます。
みなと通りも木津川の分流の川です。

千代崎橋の西詰が料亭いろは。
遊廓内に桜並木が見えます。
ガスタンクは京セラドーム大阪。
花園橋は九条新道のバス停。
松島遊廓、たぶんこの並木が桜並木。

さて今の松島はというと
今の松島はこんな感じですが2025年万博に向けてどうなっていくやら。旧松島廓は戦災で丸焼け戦後この九条へ移転、建物も戦後の建物と思われます。
飛田には一部、戦前・大正の建物が残ってますが建替えでいつ解体されてもおかしくない状態でふ。