気づけばブログを書くのも久しぶりになってしまった。2ヶ月ぶりくらい。日記に書くこととブログに書くことの区別がつけられないから悩む。
最近読んだ、累 -かさね-という漫画が非常に良かった。連載が始まったのは10年以上前だけど、この時代にこそ読むべき漫画なんじゃないかと強く感じた。高い演技力があるものの、醜い顔面を持つ主人公が、顔だけを入れ替えることのできる口紅を使って女優として成り上がっていく話。見た目の美醜に関して綺麗事であってもなくてもいろんな考え方がある。否定しないという人もいれば、思いっきり差別する人もいる。この漫画では、とてもリアルながら残酷に描いているように感じた。特に、もともと醜い顔だったはずの主人公が、顔を交換した状態の美しい自分に飲み込まれていく様子は漫画ならではと思ったし心にきた。おそらくネタバレにはならないと思うけど、美しい顔の状態の主人公が醜い男を自然に見下していたシーンはハッとさせられた。過去自分は同じように見下されいじめられていたのに同じことをしてしまっていたという。そのシーンで、人を見下して安心を得ようとするのは人の本能なんじゃないかと思った。
これに通じる話で、障害に関する内なる差別意識の話も印象的だった。
能力の有無や生産性の有無で人はその価値を判断しようとする。でもその価値は、その人本人の価値とは無関係である。その考えを持たない人が「用無し」にならないよう、生産性がないとされ不要とされてしまう恐怖を克服するために他人を下げることで安心を得ようとしている、みたいな話。他人を下げてしまう人も、優生思想の被害者であるのだ。みたいな話。
この2つ、障害と美醜という違いはあれども、通じるところはあるんじゃないかと思う。自分が優っていることを認識し、安心するためにこんなことをしているのだ。人間の本能であるなら仕方ない、としてしまうのは違う気がした。みんな違ってみんないいはずなのに、それをわかっていないのだ。
人は美醜やなんとなくのイメージなどで人を見てしまう。いいところを持っていたとしても、そもそも見つけられていないのかも。ただ、そこに気づくというのはなかなか難しい。深い関わりが必要だからだ。その点、特性のある子を普通級の中に入れるインクルーシブ教育は意義のあるものであると感じる。関わらざろをえない枠を作り出せばいいというものだ。
やっぱり分離は良くないのだ。見た目苦手だけど話してみたら素敵な人だったことが自分も時たまある。こちらから関わる場を提供しなければ。あと意識的に関わってみるのもいいかもしれない。なかなか難しいけどね。
