機関庫に茶色いディーゼルカーが出発の準備をしています。他の車両たちと雰囲気が違います。







尾小屋鉄道キハ3はもと遠州鉄道奥山線で活躍したキハ1803。実は奥山線開通100年、奥山線廃止50年を記念して遠州鉄道当時の姿に期間限定でもどしています。








1951年、遠州鉄道奥山線では蒸気動力に変えて東田町-曳馬野間を直流600V、曳馬野-奥山間を内燃動力とすべく近代化工事に着手しました。その際4輌のディーゼルカーを自社発注し1954年6月、汽車会社東京支店で製造されました。
車番は当時、二俣電車線(現在の西鹿島線)は0番台、奥山線は1000番台とし、内燃動力車は800番台との由で奥山線の内燃動力車の3番目で1803が付番されました。





🔵遠州鉄道奥山線
キハ1803

寸法(長×幅×高)
10.590×2.100×3.185(mm)
定員 60名(乗2+座24+立34名)
自重 11㌧
エンジン いすゞDA45(90ps/2600rpm)
制動方式 SME空気ブレーキ、手ブレーキ



戦後の軽便鉄道としては標準的なディーゼルカーです。エンジンも汎用のディーゼルエンジンを流用する手法は多く見られ、いすゞDA系や日野DS系、三菱ふそうDB5系を搭載しました。これはトラックやバス用エンジンの汎用品で部品も手に入りやすく実用的だったからでした。


遠州鉄道奥山線では曳馬野-奥山間を中心に活躍、ノーシルノーヘッダーの近代的な外観ですが機械式のため総括制御は出来ませんでした。
東田町(後に遠鉄浜松へ移転)-曳馬野を電車に牽引された客車を連結し奥山まで活躍しました

遠州鉄道は1964年10月一杯で廃止となりましたが後に尾小屋鉄道に引き取られ活躍を始めました。
前照灯を自動車用の小型のものに変更され連結器を朝顔連結器に交換されて廃止まで主力として活躍しました。




⚫︎軽便鉄道で多く用いられた朝顔連結器。緩衝器の先端から出る”ベロ,をピンで止める簡単な構造。



日本最後の非電化軽便鉄道でしたので幸運にも機関車、客車、ディーゼルカーは3団体に引き取られました。

一度は動かなくなった尾小屋鉄道ですが、尾小屋駅構内の一部線路と機関庫を活用して東京大学鉄道研究会とそのOBによる赤門軽便鉄道保存会によって駅構内跡に機関車DC122、気動車キハ2、客車ホハフ7が保存されています。このうちキハ2は稼働状態にあり、一度なかよし鉄道に持ち込み運転会を実施したことがありました。

当駅には他に、5号蒸気機関車、キハ3、ハフ1が保存されていましたが小松市の手によってキハ3が1995年にエンジンをかけて公開され(車体は未整備)、後に本格的な修繕ののち2002年に『小松市立ポッポ汽車展示館』に移設し動態保存されています。










⚫︎小松市立ポッポ汽車展示館が出来る前の尾小屋駅構内の保存車両。屋根はかけられているが展示というより保管といった様子。キハ3もクリーム部分が白っぽく色彩に欠け、このディーゼルカーが数年後に息を吹き返すとはにわか信じられない。


小松市内には他にも静態保存され1、DC121と客車2輌は次第に痛みが生じ一時期は腐食も進みました。
尾小屋鉄道OBや有志、地元石川県の協力により動態に修復、1984年8月より保存運転を行っています。
キハ1は前部の腐食が進んだため切妻形となりました。








キハ1修復前と修復後