京都在住の友人より久御山付近に京阪宇治交通の廃車体あると聞いたので一度高速を降りて探します。

詳細まで教えて戴いたのですが残念ながら発見ならず😔。
折角なのでこの界隈にまつわる廃車体や中古車にまつわるものを幾つか挙げてみました😄。



🔵野田川の京阪宇治交通





加悦鉄道を見学した折に見つけた廃車体。三菱MP117Nで登場時は緑系の旧塗装でした。
車体は呉羽車体で製造されました。





この車輌の特徴は直結冷房を採用したものです。そのため後面窓が丈夫に張り出した後継のB35車体(ブルドック)に通じるデザインとなっています。同様の車体は都営バスや川崎市などでも見られましたが少数派です。またこれらの前面は視野拡大窓でライト枠がいすゞBUみたいなものを使用していましたがこの車輌は呉羽車体のライト枠を使用しています。2009年5月9日撮影。







🔵悲しい再会
京阪宇治交通294
京22か4243
三菱P-MP218M(1987年)












写真は2003年に開催されたファントリップでの一枚です。以前は京都駅まで乗り入れていた京阪宇治交通バスのリバイバル運転でした。
同日用意された車輌はこの294号車で、当時最後のカセット放送車でした。以前はその他宇治田原町にも路線を伸ばしていた当時の路線を現役当時の写真、時刻表、観光パンフレットも豊富に用意されて見事に”国鉄”京都駅行きの京阪宇治交通バス復活運転となりました。京阪宇治交通を知らない自分でも充分楽しめ、これが以降自分が主催したマニアツアーの基本スタンスとなりました。




2005年7月、三重県某所にてこの294号車と再会します。しかしそれはとても悲しい再会でした。





ここは当時、近隣のバス会社の廃車バスがここに送られて処分されると聞いていました。しかしそこで見た廃車バスが初めてバスツアーに参加した京阪宇治交通のエアロスターだったのです。





他にも前所有者不明のラッピングバスに北恵那交通のエアロスターもありました。外されたナンバープレートの痕跡より岐阜22き・224と分かりました。このバスも現役当時を知っていたのでショックでした。







🔵京阪宇治交通のチョロQ




浜松市浜北区に路線バスを運行する浜松バスに京阪宇治交通より中古バスがやってきました。京阪宇治交通時代の車番は712M、登録番号は京都22か6460。『くずは男山コミュニティバス』専用車として男山営業所に配置され、2008年12月に廃車されるまで活躍が続きました。



浜松バスへの転入に伴い系統幕を廃し大型方向幕となりLECIP製液晶式運賃表示器など新しいワンマン機器が使用されていました。





車輌は日産ディーゼルのKC-RN210CSN(1997年)、全長7m足らずの小さな中型車は”チョロQ”のニックネームがピッタリです。
浜松バスは路線バス営業当初は川崎鶴見臨港バスや伊豆箱根バス、伊豆下田バスからの大~中型車が用意されましたが後に横浜市営のリエッセに代替され、更にこの京阪宇治交通RNも加わりました。
唯1輌の転入であらたまの湯↔︎なゆた浜北↔︎サンストリート浜北↔︎西坂整形外科を結んでいましたが僅か数年で廃車となりました。





🔵京阪ついでに。


京阪宇治交通ではありませんが、浜松の奥地には京阪バスの廃車体があります。京阪バス当時の車番は不詳ですが、テールランプと『乗降中』の看板から1992~1993年に製造されたうちの1輌です。
京阪バスは比叡山方面への路線用には補助席、ターボ付もあるが実車は路線用で大阪府内で活躍したものかと思われます。







夏の1日でも溢れる好奇心に時間は全く足りません。京阪宇治交通の廃車体は諦めて高速へ上がります。

このあとやまやはまたも眠りに落ちますが、謎さんは引き続き『名古屋廃バスクラブVOL.1』をかけていたら、エンディングに使われていた『面影(しまざき由理1974)』に合わせ響輝が歌いはじめました。我が家では見慣れた風景ですが車内の空気は凍りついたようです。確かに「面影」はとても幼児の歌う唄ではありませんね😅。


車の所有者がグーガー眠っている間に響輝がドラマを紡ぎながら阪和道を岸和田SAまで走り少しお腹をふくらまして、大阪府最南端の岬町を目指します。