日本人のかなりの多くの人たちが、肩凝りに悩んでいる。そして、その肩凝りが酷くなり深刻な頭痛にまで発展している人たちが多い。おそらく日本人の半数以上の人たちが肩凝りと頭痛に苦しんでいると想像する。肩凝りと頭痛は生活に大きな支障をもたらす。腰痛に悩んでいる人も少なくない。日本人にとって頭と首から腰にかけての『痛み』は、避けては通れない試練みたいなものではないかと思われる。とは言いながら、何とかその痛みを和らげることが出来ないと、日常生活だけでなく人生そのものにさえ支障を来たす。

 

 肩凝りや背中の張りから来る頭痛には、まずは薬物療法が安易でコストも低いからと選択される。医療機関を訪れずに市販の痛み止めで対処してしまう人も少なくない。それでは残念ながら改善しないので、医療機関で処方された薬を飲むことになるが、それもやがて効かなくなるケースが多い。同時並行でマッサージや整体が選ばれるが、施術を受けた直後と数日は痛みが和らぐが、また痛みはぶり返す。こんなことを繰り返しているうちに、痛み

が固定化されるだけでなく、益々痛みが増幅されてしまうことになる。

 

 また、セルフケアとしてストレッチを指導される場合もある。痛みの感じる部分を伸ばすようにと指示されて、懸命に伸ばす。確かに、伸ばした直後は痛みが少しだけ和らいだという感覚はあるものの、すぐに元に戻ってしまう。なにしろ、セルフケアでストレッチは劇的な効果がないせいかもしれないが、長続きしない。人間と言うのは、努力しなければならないことは継続出来ないらしい。ましてや目に見えるような効果が見られず、長く継続した努力でしか効果が出ないことは、続けることが難しいのであろう。

 

 肩凝り&背中の張りによる頭痛は、何故起きるのであろうか。実は、その原因は完全に突き止められている訳ではない。何故かと言うと、頭痛が起きるシステムというかその機序は、あくまでもこのようにして頭痛が起きるのではないかという『仮説』で説明されているからにほかならない。外科的に実際に目に見えるように解明されている訳ではない。だから処方される薬も、このようにして効果がでるだろうというモノアミン仮説によって説明されている。うつ病などの薬も同じで、完全に解明されている訳ではないのだ。

 

 肩凝り&背中の張りから起きる頭痛は、肩や背中の筋肉が緊張して異常な収縮があり、そのせいで血流障害が起きてしまうことがきっかけだと推測されている。肩や頸部の血流障害により頭部の血管が膨れ上がってしまい、周りの神経組織や痛覚神経を刺激して痛みが起きるのではないかと思われている。または、肩や頸部&背中の血流を改善しようと無理に流そうとして脳が血流を増やす指示を出して、頭部の血管がパンパンに膨れてしまうのかもしれない。だから、心臓の拍動に合わせてズキズキするような痛みになるのである。

 

 偏頭痛や筋緊張性頭痛を起こす原因として言われているのが、首から肩にかけての胸鎖乳突筋や僧帽筋などの緊張と緊縮によるものとされている。マッサージとか整体でのストレッチによって症状が改善すると思われている。それで筋肉の緊張と緊縮が取れるなら、確かにその通りの効果があるが、一時的なものであり再発する。その筋肉の緊張と緊縮を除去するには、伸ばすのでなく逆に縮めると良い。収縮しようとする筋肉を縮めるなんて逆効果だと思うだろうが、実は人間の脳と人体システムは不思議な働きをしてくれるのである。

 

 どういうことかというと、人間の恒常性というか自己治癒能力が発揮されるのである。人体は無理に筋肉を伸ばそうとすると、縮めようとする働きが強くなる。逆に筋肉を縮めることで、人体システムは筋肉を伸ばして緩むのである。首をどちらかに傾けて、胸鎖乳突筋や僧帽筋を縮めてあげると、緩んで伸びる。そうすると筋肉の硬直や緊張が解けて血流が良くなり、血管が緩んで圧力が減少して、頭痛が和らぐのである。背中の筋肉も縮めると緩んで伸びる。実に簡単な方法であるが、頭痛は首を傾け筋肉を緩めて治せるのである。その際に、視線を斜め上に向けるとなお効果がある。

 全ての国民が知っている有名な神社、あまり知られていない無名の神社、田舎にある小さな鎮守の神社、それこそ多くの神社が存在する。そして、それぞれの人にとっての推しの神社があるし、毎年決まって初詣をする神社があると思われる。日本人にとって神社は、七五三のお参り、厄祓いなどの際には殆どの人が利用している馴染みの深い場所とも言える。そんな身近な神社であるが、本当の神社と偽物の神社があるということを知っている人はそんなに多くない。そして、そんな偽物の神社を有難く拝んでいる人がいるのである。

 

 厄災を防ぐために神社に行き御祈祷を依頼したり、幸運が訪れるようにと神社にお参りをしたりしている人が多い。しかし、それが本当の神社ならご利益もあろうが、偽の神社にお参りするなら徒労になるだけでなく、かえって不幸を招くことだってある。ましてや、偽の神社の多くは、時の為政者や権力者たちが、国民を無理矢理に従わせようとして作られたものが殆どであるから、そんな神社を信奉するのはとても危険なのである。特定の危険な思想や国体維持の考えに引き込まれてしまう恐れがある。

 

 例えば、戦争で亡くなられた方々を祀るとても有名な神社がある。あの神社には、太平洋戦争に引き込んだ戦犯として処刑された軍人や、捕虜を虐待したり民間人を虐殺したりした軍人も祀られている。戦争や内戦で亡くなられた軍人を祀ると言いながら、戊辰戦争で亡くなった幕府軍の武士たち、西南戦争で命を落とした西郷隆盛や反政府軍兵士は祀られていない。日本人というのは、たとえ敵対した相手であっても、戦死した人は丁寧に葬って敬ってきた。それがこの神社だけは、政府に敵対した戦死者は合祀を拒んできたのである。

 

 何故、こんな非人間的な扱いをこの神社がしてきたのかというと、そもそも偽の神社だからである。八百万の神々を祀ったのが本来の神社である。ところが、この神社は明治維新の長州人の戦死者を祭神にして設立した招魂社を基にして出来た神社である。戦死者を神として祀った神社であり、日本古来の神々を祀ったものではない。戦争で為政者に従って殉死した軍人を神に見立て、権力者の為に戦死した軍人を崇め称えて、軍人や国民の戦争への士気を高める為に利用した神社なのである。本来の神社でないのは明らかである。

 

 時の為政者や権力者が国民を欺き、為政者に歯向かわないようにする偽の神社は、他にも多数存在する。亡くなった為政者や権力者を神として祀った神社がそれである。日光東照宮はご存じのように徳川幕府を興した徳川家康を祀った神社である。江戸幕府の政治体制を永らえる為に設立した神社である。橿原神宮や明治神宮も同様である。奥州白河藩主で寛政の改革を主導した松平定信を祀ったのが南湖神社である。乃木希典を祀った乃木神社や、米沢藩主上杉謙信を祀った上杉神社も、実在した人物を神格化して設立された。

 

 このように、国策や国体護持&維持の為、国民を為政者に従わせる為に設立された神社は、本来の国民や地域住民の救済や幸福実現の為に設立された神社ではないのである。これは為政者や権力者が政治利用した神社なので、このような暴挙は許されるものではない。諸外国からは、戦犯を祀った神社を為政者&政治家が参詣するのは、戦争を肯定することになるとして批判されているが、当然のことであろう。宗教を政治利用するのは、憲法で厳しく制限されている。神社を政治利用するのは明らかな憲法違反である。

 

 自民党タカ派の政治家たちは、口を揃えてこのように強弁する。日本を守る為に戦って命を落とした英霊を祀り、その栄誉を称えて慰めるのは、国民の務めであると。確かにその通りである。それを否定するつもりはない。しかし、それを口実にして神社を政治の為に利用するのは別である。ましてや、タカ派の自民党政治家たちは、選挙での票集めのために参拝を強行しているのである。こんな政治家に日本の政治を任せれば、戦争を招いてしまうことになる。国策や国体を維持する為に神社を政治利用するのは、絶対に許せない。

 SNSに自分のパートナーが、酷いモラハラ夫だとカミングアウトしている女性がとても多いのに驚く。結婚してからずっと夫の言動に苦しめられてきて、ようやくそれがモラハラだったと気付いて、離婚を決意したという妻たちがなんと多いことか。最初は自分が無知なため、または未熟なせいだと我慢していたが、実はそうではなくて夫があまりにも異常なハラスメントを繰り返し、自分自身を精神的に追い詰めていた事が解ったと言う。その為に心身共に病んでしまい、不定愁訴に苦しんでいたが、我慢するのをやめて反撃したらしい。

 

 モラハラ夫と生活を共にしている妻たちは、自分に非があるから夫に批判を受けたり責められたりするんだと、自分自身を責めてしまう傾向がある。夫が不機嫌になったり怒り出したりするのは、自分が至らないせいだと思い込み、自分さえ我慢すれば円満になると、夫の望む妻を演じようと努力する。モラハラ夫は、巧妙に妻をコントロールして、自分にとって都合の良い妻に創り上げようとする。モラハラ夫と暮らす妻たちは、メンタルを病んでしまうケースが多い。こんなにも酷いモラハラ夫を産み出した張本人は誰であろうか。

 

 SNS上では、夫の両親が同じような夫婦像を子どもの時から見せつけていたから、自然とモラハラを子どもが身に付けたということが盛んに言われている。確かに、その傾向はあると思われる。義理の父親は、妻と子どもに対して過干渉傾向にあったし、まさにモラハラ夫そのものである。義理の母親は夫に対して従順な妻であり、典型的な良妻賢母を演じていた。その姿を見て育った夫が、同じモラハラ夫になるのは当然であろう。モラハラ夫を創り出した張本人は、その実父母であると断言していいのだろうか。

 

実は、それは正しいと言えるが、半分誤りであり、彼らもまた被害者なのではないかと思われるからである。モラハラ夫の両親は、同じようにモラハラ夫と従順な妻という夫婦を演じていたが、実はそれぞれの両親たちもまた同じような夫婦を演じていたのである。つまり、世代間連鎖でモラハラ夫とその妻を祖父母もまた同じ夫婦になってしまったのである。このような両親に育てられたら、子どもたちも同じようになるのは必然である。子どもは不安型の愛着スタイルになり、不登校やひきこもりなってしまうケースも少なくないだろう。

 

このようなある意味可哀そうな夫婦は、世の中に非常に多く増えてしまっている。夫婦というのは本来対等な立場であり、お互いにリスペクトし合い、共感的態度を取りながら支え合うものだ。一方的に片方を所有したり支配したりするものではない。お互いに受容的であり寛容的であるべきである。ところが日本という国は、未だに男尊女卑の考え方から脱し切れていない。企業・団体における男女間賃金格差は大きいし、管理職や議員に占める女性の割合は諸外国から比較すると極めて低い。夫が妻を経済的に支える家庭が多い。

 

日本を男性優位の国にしたいと望んでいる国民がいかに多いのか、実に不思議である。自民党のタカ派政治家は、女系(女性)天皇を絶対に認めたがらないし、夫婦別姓婚を受け入れない。その理由は、女性の権利を認めて男女平等になると、家族が崩壊してしまうと思っているからだ。なんと前時代の考えであるが、本気でそう思っているのだから困ったものである。男女平等になっているから家族が崩壊してしまい、結婚する人が減少して出産も少なくなり、少子化が起きていると本音で考えているのだから始末に負えない。

 

 日本人がこんなとんでもない男性中心社会・男尊女卑の考えに凝り固まってしまったのは、そんなに古い時代からではない。武士社会は別として、江戸時代の庶民は意外と女性の権利を認めていたし、夫婦の関係性も同等であった。明治維新の時から男尊女卑の価値観を高めて、女性に参政させず経済的自立をさせないようにと仕組んだのである。薩長を中心とした維新政府がこんな酷い価値観を敷衍させてしまったのである。したがって、モラハラ夫を産み出した張本人は、薩長が政界を支配した明治維新政府なのである。その封建的な考え方が現代に残ってしまい、モラハラ夫に苦しむ家庭を創り出したのだ。