42年ぶりに大学時代の仲間に思い出の地、東京・渋谷で再会を果たした


■新たな時空移動への挑戦


現役時代は仕事柄上京する出張は数え切れぬほどありながら、もっぱら新千歳空港からフライト利用で、プライベートを含めて長い間鉄路で上京したことはなかった。修学旅行や貧乏な学生時代に昼間の特急や青函連絡船を乗り継ぎ往復した以来だろうから、もう45年ほど前になってしまう



かつて東京と鹿児島を結んだという、寝台特急はやぶさ、現在は北海道と東京を結ぶ新幹線の名称になっている。新函館北斗駅から東京駅まで所要約4時間だという



新幹線の札幌延伸まであと6年、終活という文字が妙に身近に感じられ、体調的に生きて延伸を見届ける保証もないから、思い出づくりに新幹線で上京もありかなと調べたら、自宅から15分ほど歩いた駅から朝早めの函館行きの特急にさえ乗ってしまえば、帰宅ラッシュ前に東京駅に着くらしい。

新函館北斗駅での乗り継ぎも特急到着ホーム反対側ホームだという経験談を見つけた。

だとしたら空港前後のアクセス時間や手間を考えても、新幹線という新たな時空の移動手段を体験する価値があるではないか。


『朝起きて駅まで歩き、途中一回乗り換えたら終着は東京駅』途中踏切事故か車両故障に巻込まれて時間がかかった通勤だと思えばよいわけで寝過ごす心配もない。フライトよりもシンプルだ


■都内快適移動のための宿の確保



せっかく上京するなら、学生時代の聖地巡りや縁者の墓参もと、土日をはさんで1週間の滞在とした。今回は半蔵門線と田園都市線を利用する機会が多くなるため、価格的にもリーズナブルな半蔵門駅がすぐというのがウリのホテルにした。

全てJTBを通じて手配。少しだけリッチに往復グリーンにしたがそれでも、ホテルに6泊して、交通費含めて総額12万円、一人旅としては格安ではなかろうか。

(ちなみに渋谷駅近くのホテルなら、3泊すらできなかった)


■期待の再会と一抹の不安


私の大学時代のサークル仲間が開いたOB会

参加者は、卒業年度だと3年にまたがる20名ほど、やはり関東圏が多いが北から南まで集まった。



開催場所は、まさに大学が立地した渋谷のスクランブル交差点間近のホテル宴会フロアの一室。日曜日の真っ昼間開催、さらに前日から2日間実施された渋谷駅改良工事の当日でもあったため、まさに私には人の洪水。

あれだけ詳しかった駅周辺がここまで難解・困難きわまりない市街になったとは。のれん街が所定の場所にない?プラネタリウムもない?おゃっこれは東邦生命ビルなのか?

おかげで駅周辺にとどまらず渋谷の地下にまで詳しくはなったが 笑


横浜に住む幹事から私と同じように卒業以来の再会となる同期や後輩もいるのだと聞かされていたから、早めにフロアで待ち受けることにした。

事前に送られてきた数年前開催されたOB会の集合写真を見たが、ハズキルーペを使っても、当時の記憶を頼りにしても、男性陣の半数は判然としなかったからだ。久しぶりとはいえ、失礼があってはならない。


■耳がすべてを解決する


待つこと三十分、私を呼ぶ人物がいる、「久しぶり」なんとそのソフトな響きが幹事を務める同期の親友と分かった。

そうか声は変わらないのだと気付き、自分の中に急に安心感がひろがった。


その後は「おまえ変わったなぁ」の一言だけは固く封印して「久しぶり」とだけ呼び掛け、相手の声を聞く戦法が功を奏した。ただ、相手がみんな私の名前を呼んでくれるので、そうか体重も腹(横巾)も5割増しだが、私の容貌や容姿は昔とそんなに変わっていないのかと妙に安心したが、おそらく相手も私の声で手探りしていたのだろうと思うと可笑しくなった。

しかし勘違いはいかん、あれはみんなの優しさだったのかもしれないのだ…


■忘れていた記憶がよみがえる


欠席せざるを得なくなった数名のOBは、親の介護や家族の都合など我々に共通の課題に振り回されているのだとあらためて実感した。故人となられたOBも紹介されて自分もそういう年齢に達したのだと思い知らされた。次回は私が紹介されるのかもしれないが、私を肴に会が盛り上がるならそれでよいではないか。


いくつかのテーブルを囲んだ立食形式だったので、各自テーブルを廻りながら合宿旅行やセミナー参加、下宿訪問など4年間の大学生活をああだこうだ振り返りつつ、卒業後歩んだ人生を語り合ったが、事業失敗や婚姻絡みなどまさに人生いろいろ、悲痛に語る者、面白可笑しく語る者、和やかな中、2時間などあっという間で、明らかに時間不足だなという空気感が漂っていた。


テーブルを廻るなかで、とある後輩から私は先輩に初めてディスコに連れて行かれたと聞かされた。当時はビー・ジーズや、ジョン・トラボルタのサタデーナイトフィーバーなどディスコサウンド全盛期で、田舎者の私だが妙にあののりのよいサウンドが好きで機会があれば新宿・六本木・赤坂のディスコに通ったことを思い出した。

私がアメ横で手に入れたディスコ兼通学用の白のエナメルシューズを履いた写真があれば、「ファミリーヒストリー」級のお宝なのだが…


各自マイク片手に近況を語る際に、私から「このサークルを選んだ理由」を尋ねたが

大方がE.S.S的な英会話に特化した活動ではなく、専攻にとらわれずより高い次元の世界観の醸成を望んだのが理由だという。さすがだと思った、私も同じだが、致命的だったのは英会話能力の欠如で「北海道訛りあるよね」の一言も決定的だ「そうだべさぁ」は使わぬと思うが 笑


実は、私は1年間もう一つ別のサークルに入っていた。新入生勧誘の先輩女子に見惚れた?のが敗因で間違いない。このサークルは普段目立った活動はしない仲良サークルだが、年に一回だけ演劇をやるのが習わしで、超有名な劇団の先輩OBもいた。

この年はシェイクスピアの戯曲『オセロ』

新入生の私にイアーゴを演じれとの下命で地獄の特訓が数カ月、チケットを自らさばき(キックバックはない、打上げに充当された?)キャパ400人ほどの小劇場で顔にドーランを塗られ、演じさせられたのだが、同時に演ずることの高揚感と演劇の醍醐味を味わう経験にもなった。


(前列右から2人目が私 右端が先輩女子)


脱線した、話を戻そう


テーブルを廻りながら、妙に竹内まりやの曲『駅』が脳裏に浮かんだ、私のイメージはあの駅は渋谷駅になるのだが、それはさておき、途中「2年のときが変えたのは彼の眼差しと私のこの髪」素晴らしい歌詞ではないか!では42年が変えたものはなにか『長寿の志しと私の髪』だろうか…あくまで個人の意見だが、男子たる者、大河ドラマではないが徐々に『光る君へ』近づく宿命にあるのだから 笑


お決まりの集合写真だが、二十代当時との客観的比較にも後世の貴重な一枚になる。


(ボカシ加工したぞ みんな許せよ)

いったん会を締めて二次会に流れようとなったが、なにせ日曜日の午後2時の渋谷である。人数的にも会場確保が難しかったが、奇跡的に近くのカラオケボックスでパーティールームが確保できた。


館内には学生当時の私達のような若者がわんさかいるのを見て、当時を懐かしく思ったが、当時カラオケボックスなどない時代だ、サークル仲間でカラオケはまさに初めての経験になった。

卒業後の厳しい会社生活に揉まれながら身につけた?度胸試しで勝ち取った?レパートリーのオンパレード、それいえまさに意外性、実力派が相まみれて、妙に人生観まで漂ってきて愉しく過ごした。


ふと、学祭最終日恒例の一升瓶を回し呑みしながら、表参道を行進し、挙句の果て、明治通りの歩道で悪酔いして歩けなくなった後輩の介抱をしたことを思い出した。

一体、あれは提灯行列だったのか?


次回開催に向けてOB会幹事が後輩に引き継がれたが、目安として5年後とされた。つまり北海道新幹線の札幌延伸前だ 残念。


三次会に流れようという声もあったが、カラオケボックスを出ると人で混み合う通りで、散り散りになった。気がつくと42年前一ヶ月の欧州卒業旅行を「地球の歩き方」を片手に、ともに過ごしたTOMMYと二人、雑踏に取り残された格好になっていた。


(左がTOMMY氏 スペイントレド)


彼とも成田帰国以来だからまさに42年ぶりの再会になるだろうか。時間も夕方6時になっていたから、さきほどのホテルに戻り、旅の反省会を兼ねて夕食をともにした。


やはり42年の歳月は長い。会話する中でも互いに忘れていたこと、気付かされることもたびたびだった。

我々は、あのリクルート社の卒業ツアーで南回り(香港・バーレーン)でロンドンに入り、スコットランドまで鉄路北上、航路オランダに上陸して、鉄路でドイツ・スイス・オーストリア・イタリア・スペイン・ポルトガル・フランスパリに入る一ヶ月の行程。帰路は再び南回りで、台北経由成田着となった。

この卒業旅行を含め4年間のサークル活動は、私の会社生活に輝きを持たせてくれることにつながった。


TOMMYには私の胸の内も多々聞いてもらった。彼には負担になってしまったかもしれない 許してくれ、術はなにひとつないというのに…

二度の大病を患い老い先短い運命を背負わされ、ざわつく胸のつかえを下げたい衝動に駆られたのかもしれない。


この卒業旅行については、私のアメブロに「《貧の壺》昭和末期の洋行」と題して過去10本ほどブログを載せている

■あとがき


往路新函館北斗からのはやぶさ、グリーン席は想像以上に快適、静かな空間だ。北海道からの8時間があっという間だった。

途中停車駅がいくつかあったはずだが、静か過ぎて停まった感覚がない。気がつくと仙台駅を通り過ぎたあとだった。大宮駅あたりからようやく車窓が気になりはじめたほどだ。

唯一難点があるとすれば、車内販売があったのか、なかったのか、食事には困った。駅弁を買うにしても北海道側で特急に乗る前に購入するか、あるいは新函館北斗駅で購入するかしかないが、新函館北斗駅の売店にある弁当は販売量自体が少ないようで、私が売店のケースを覗くと数個しか残っていなかった。楽しみにしていたイカ飯は入手できなかった。特急に乗る前に駅売店で菓子パンと缶コーヒーを買っておいて正解だった。


普段は使う必要がないモバイルSuicaをスマホに設定しておいたのだが、思った以上に快適で、私鉄、バスを含めストレスなく利用することが出来た、タクシーでの利用もいとも簡単であった。

現金でチャージするなら、セブン銀行のATM端末が一番簡単と感じた。チャージ可能な駅券売機が限られるからだ。


今回選び抜いた三つ星評価の『ダイヤモンドホテル』決して新しく近代的ではないが、半蔵門駅が近い。ファミマも近く、喫茶店や食堂も近くに多数ある。館内にレストランもあり、設備は揃っている。東京駅からタクシー乗車で二千円も掛からない。


■最後に


サークルOB諸氏よ!口ずさむ每日か?

あの『いちょう並木のセレナーデ』を


終わり