今日がエッセイの日だということを
数日前から意識して、
日常の当たり前にもしっかりと
目を向けて過ごしてきたのに、
今日が始まってから今まで
ここ数日で、今日だけ
すっかりそのことが抜け落ちていた。

なぜなんだろう。
ずっと意識していたのに。

で、
書くか迷った
急いで書くのはどうなんだろう

目を向けて、あーこれはこうだな
これはこうだなと考えてきたこと達を
文章にしておけばよかったのだが、
私のメモはただの単語のメモ。

で、ちゃんと書くなら今日じゃなくて
明日にしようかなと
思ったその時

え?待って、約束守らない
推しとか嫌じゃない?


って頭に浮かんできた

それはもう絶対そうだ。
10日と25日。
給料日だから覚えやすいという謎の理由で
決めたエッセイの日。
ルールに縛られすぎず書いていきます
とかいう自分を甘やかすような言葉を
最初に呟き
保険をかけてはいたわけだけれど

え、
言ったならやろうよ
有言実行の方がかっこいいっしょ

って頭の中の私が囁いてきた

から、勢いに任せて
文章を書いている次第でございます。

私、最近、
フォトブック制作のために、
エッセイ集とか、フォトブックとかを
読んでいて、
エッセイって面白いな
やっぱりいいな、って思っていたので、
書きたいという気持ちはすごい
強くあって
でも、歌詞を書き始めたり、フォトブックにも
言葉を書きたいなとか思っていたら、

Xの更新頻度もちょっぴり減るくらい
言葉を外に出すことに躊躇いが生まれるように
なった。

だって、今日ふと考えたこと、
湧いてきた想い、全部歌詞にしたり
文章表現にしたいなと思ったら
それ以外のところで何を発信していいやら
分からなくなっていて、

アーティストの人ってすごいなって
改めて思ってる。

何気ないことも
言ってしまいたくないと
思わせる
"作詞" というおこないの引力もすごい。

なんか
おばあちゃんが送ってくれた
梅シロップが美味しかったとか
そんな事も、
歌詞とかエッセイとかに書きたいな

いや、
書きたいというか
そんなことも種になるなとか
思っちゃってて、
文章を表現にする=仕事
という思考の支配もすごい

この仕事は
日常が平気であっという間に
ただの日常じゃない
仕事の延長線上になり得るから
驚く、時に怖い。

いや、こんなことは
当たり前の日常として消化していいんだ、
これは歌詞にしてみよう
とかうまく分けられるのかな?みんな?
どうなのだろう

こんな風に悩んだことなかったから
よくわかんないや
私のこれまでには
いつでもちゃんとただの日常が
あったんだなーって
改めてありがたくも思う

現実は真っ直ぐ見ると苦しいけど
現実はいつも私を私の人生に引き戻してくれる