長年レッスンをしていると、とても興味深い現象に出会います。

 

レッスン中に身体が変化したとき、受講生の反応は大きく分けて2種類あります。

 

ひとつは、

 

「あっ!?なにこれ!」


「えっ、何もしてないのに立てる」


「ラクだけど、なんか変!」

 

 

もうひとつは、

 

「今までこうやって立っていると思っていました」


「力を抜いているつもりでした」


「~だと思い込んでいました」

 

一見すると、どちらも「気づき」のように見えます。


でも実は、この2つは脳の中で起きていることが全く違います。

 

 

【「あっ!?体験」が起きたとき】

 

このときは、言葉になる前に変化が起きています。

 

順番はこうです。



感覚入力  →  身体地図が変わる  →  姿勢・動きが変わる  →  その後に言葉になる

 

つまり、身体が先、言葉が後

 

このとき人はすぐに説明できません。

 

  • 驚く
 
  • 笑う
 
  • 静かになる
 
  • 「分からない」と言う
 
  • 周りを見始める
 
 

これは、内部モデル(身体地図)が更新された瞬間です。

 

 

【「思い込んでいました」になるとき】

 

こちらは順番が逆です。



説明  →  理解  →  納得  →  言語化  →  でも身体はあまり変わらない

 

このとき更新されているのは身体地図ではなく、

 

自己物語(ストーリーとしての私)です。

 

これは悪いことではありません。


でも、身体の変化とは別のレイヤーの変化です。

 

 

【私たちは「プレイヤーの私」と「背景の私」でできている】

 

私はよくレッスンで、

 

  • プレイヤーの私(意識している私)
 
  • 背景の私(無意識・習慣・身体・感情・予測)
 
 

という説明をします。

 

役割を分けるとこうなります。

 

 

   
背景の私    選ぶ・動かす・姿勢を作る・反応する
プレイヤーの私    説明する・意味づけする・理解する

 

ここでとても重要なことがあります。

 

 

プレイヤーの私は、決めている人ではなく、説明している人に近い。

 

 

つまり、

 

行動を決めているのは「背景の私」


その理由を説明しているのが「プレイヤーの私」

 

という構造です。

 

心理学の有名な実験で、人は自分が選んだ理由を後から作る、というものがあります。

 

人は「理由があるから選ぶ」のではなく、

 

「選んでしまったから理由を作る」

 

つまり、<作話>ということがよく起きます。

 

 

【レッスン中によく起きる「ゲーム」】

 

長年学んでくださっている受講生との間で、こんなやり取りが起きることがあります。

 

 

私:「今、どうですか?」


受講生:「ああ、私ずっと力を入れていたんですね」


私:「そうかもしれませんね」


受講生:「私、~だと思い込んでいました」

 

 

そして次のレッスンでも、また同じようなことが起きる。

 

交流分析では、これを「ゲーム」と呼びます。

 

ゲームというのは、簡単に言うと、

 

問題を解決することよりも、


いつもの関係やいつもの自分を保つことが目的になっているやり取り

 

です。

 

ここで起きているゲームは、もしかすると

 

「私は変われない」という脚本を維持するゲーム


かもしれません。

 

そして重要なのは、これは意識的にやっているわけではなく、


「背景の私」がやっている ということです。

 

 

【脳のネットワークで見ると(DMN・SN・CEN)】

 

この話は、脳のネットワークで考えるととても分かりやすくなります。

 

ネットワーク 役割
DMN(デフォルトモードネットワーク)   自己物語・過去・未来・「私はこういう人」
SN(セイリエンスネットワーク)  重要な変化・違和感・予測誤差を検出
CEN(中央実行ネットワーク)  注意・学習・新しい行動の選択

 

 

レッスンで何が起きているかというと、

 

 

  1.タッチやワークで身体が変わる

 

      ⇩
 

  2.予測と感覚がズレる

 
      ⇩
 

  3.SNが「何かおかしい」と検出

 

      ⇩

  

  4.ここで2つの道に分かれる

 

 

<変化が起きる場合>



   違和感(SN)


    ↓
 

  注意が向く(CEN)
 

    ↓
 

  新しい感覚を学習


    ↓
 

  内部モデル更新

 

 

<ゲームになる場合>



  違和感(SN)


   ↓
 

  (DMN)が自己物語を作る


   ↓
 

 「私は~だと思い込んでいました」


   ↓


  物語が更新される


   ↓


でも身体モデルはあまり変わらない

 

つまり、

 

「身体」が変わるか、「物語」が変わるか

 


この2つの変化があります。

 

 

【インヒビションとは何をしているのか】

 

ここでアレクサンダー・テクニークのインヒビションが出てきます。

 

インヒビションは「何かをする技術」ではなく、

 

 

いつもの反応を止めること

 

 

です。

 

 

脳の役割で言うと、

 

 

   
背景の私      いつもの反応を起こす
プレイヤーの私      それを止める(インヒビション)

 

 

つまり「プレイヤーの私」の自由意志は、何かをする自由意思ではなく、


いつもの自由意思をキャンセルできる自由なのかもしれません。

 

 

【私がレッスンでやっていること】

 

こう考えると、レッスンでやっていることは、

 

技術を教えているのではなく、

 

 

自己モデル(self model)を書き換えている

 

 

という表現が一番しっくりきます。

 

姿勢を変えているのではない。


動きを教えているのでもない。

 

「私はこうやって立っている人間だ」


「私はこうやって動く人間だ」


という自己モデルを書き換えている。

 

 

だからレッスンでは、

 

  • 驚き
 
  • 笑い、ときどき涙
 
  • 混乱
 
  • 抵抗
 
  • 理解
 
  • ゲーム
 
  • 沈黙
 
 

いろいろなことが起きます。

 

なぜなら変わるのは姿勢ではなく、「私」そのもの だからです。

 

 

【最後に】

 

人は、自分がやっていることを知らない。

 

知っているのは、

 

 

「自分がやっていると思っていること」

 


だけなのかもしれません。

 

だからレッスンで起きていることは、

 

新しいことを教えているのではなく、

 

 

「自分は何をしていると思い込んでいるのか」

 


それに気づいていくプロセス なのだと思います。

 

そしてそのときに必要なのが、

 

 

 観察

 

 

 ②インヒビション

 

 

 ③ディレクション

 

 

 ④新しい体験

 

 

このプロセスを通して、少しずつ「自己モデル」が書き換わっていく。

 

私は、そんな仕事をしているのだと思います。