【5月3日京都法泉院全68段の最終章まとめの一投稿の再解説】その10(13回)

■(抜粋)宇宙と人間の完全性を全ての始まりとして、大規模構造が「イマココ」の我に全ては集約され、全ては此処に初めから有ったことを理解して、あなたの存在こそが、宇宙の宝であることのこの事実への理解の到達へ。

●(解説)人間とは、能動知性の分離から由来するが故に、設定は受動でも、本源的に能動であるために、スタートでどの様な認識を抱いて始まるのか、当初の在り方のままでその後は進んで行く訳ですので、スタートから自分自身をどう認識するか?について、良く良く顧みる必要があるのです。

自分自身を◯◯と思うならば、世界は◯◯と投影され、自分自身を▲▲と思うならば、世界は▲▲と投影されていきます。

と言うことは、宇宙と人間の完全性を理解する手立てとは、疑いの先に完全性に辿り着くようなことは不可能な構図です。
「懐疑を先手に持って」いては、その懐疑が常に先回りして、完全性には永遠に辿り着かない矛盾です。

スタートから人間は完全であると言う認識を持って、探求を開始する。
そうするならば、宇宙の完全性は、次々にその完全性をあなたに現して来て、なるほどやはり宇宙は完全である、と言う理解が私達に深まっていく構図になっているわけです。

要は能動であるから観えてくる世界は自らが決定する、と言う事が常に理解の基本だということなのです。

存在の根本の理解には、スタートの認識から完全性から進んで行くことであり、それがまた完全性に辿り着く、宇宙を全体をぐるっと巡ると、始めの処に戻ってくる円環であり、探していた宇宙のお宝とは、実は「探していた自分自身の事だった」と言う事なわけです。

古から直感霊感で捉えて来たこの結論まで、現代は事実の検証と構造の解析を順次積み上げたその先に、始めの結論に戻り辿り着く。
このプロセスの踏襲を人間は必要とするわけです。

何故ならば理解の不変性と強度の深化の為であり、何事にも左右されない理解からの明確な意識、認識によって、宇宙を私達自身が新たに生み出すコトに至るからなのです。

続く

【5月3日京都法泉院全68段の最終章まとめの一投稿の再解説】その11(13回)

■(抜粋)存在の神宝として、自らに掛けてしまった呪の解除を為して、意識に掛けた鎖から自らが神宝を解放すること。
解く鎖の神宝(とくさのかんだから)とはあなたのこと。

●(解説)能動由来それ故に、人間は自らに呪を掛けて、自作自演の苦しみを体験しています。

この実態である意識に、意識自身が掛けた呪は、存在が根本的にそうであるように、自分の事を左右出来るのは、唯一自分自身のみであるので、呪を掛けたのも自分自身であるならば、呪を解くのも自分自身以外には存在しない、動かせない構造があるわけです。

その為に、歴史を再確認し、どんな観念が自らを雁字搦めに至らしめたのか?を自ら顧みなければ、掛けた鎖は解けないわけですから、存在の神宝である「あなた」の存在だけが、神宝である「あなた」を解き放つ事が可能だと言う仕組みを理解することなのです。

この呪を自ら解析し、転換し、解放する事による、存在の宝である「あなた」が動き出し、生命の流動を再び回転させはじめ、宇宙は本来の無限生成発展の永劫回帰へと、螺旋を描いて巡っていくことになります。

生命亡き状態を再び蘇らせる「あなた」の呪の鎖の解除への理解。

続く

【5月3日京都法泉院全68段の最終章まとめの一投稿の再解説】その12(13回)

■(抜粋)自らの内にある、他者であり、自己であり、中真である、胎の靈球体への一体化。
これこそが、宇宙生命からあなたへの、瓊の賜物であると言えるのではないでしょうか。

●(解説)能動知性は、自らの分割から世界を観察する術としての人間を成立させ、人間の世界体験を、人間の能動への帰還を以って回収して、自らの歓喜と為して宇宙は成長する、永遠の循環であると言う事が言えるわけです。

その回帰へのシステムを、身体そのものとして、人間=貸出先に持たせて、創造を体験してもらい、世界の構造を極大・極小まで網羅したら、実はそれは全て身体に最初から存在していた、と言う気付きに帰って来るのだと。

身体の中に、自己(脳、蝶形骨)と、他者(瓊=靈球体)の関係性、すなわち神と人間、能動と受動の構造性を見出す事で、脳による人間体験を、胎に落とし込む、選択における無為(自ら解って手放す)=全託(全き肯定)へと、ゼロ(0、零、靈)へ回帰する。

この様な道筋を、身体(神態)に込めて、故郷(能動)への帰郷への誘いと、チケットの贈り物(瓊モノ、賜物)が、親(能動)から子(私達)へギフトされている、それが、身体中真であり、かつ目の前の「記憶の瓊」ではないだろうか、と。

続く

【5月3日京都法泉院全68段の最終章まとめの一投稿の再解説】その13(13回完了)

■(抜粋)
[終わりに]
頭脳=蝶形骨から見れば遥かなる宇宙の命の息づくところ、それが仙骨が包み込む「瓊」。
瓊の盛んなるを、根源へと宣べ寿ぎ、律動さす。
この『璽律』(じりつ)への転換へ、求め捧ぐ"瓊盛宣"(たまもの)とは「あなた」のことに他ならないのです。

おわり

●(解説)生命の瓊の、律動の盛んなる事を意識出来るのは、自らの理解と選択以外に出来ませんので、その賜物(瓊モノ)への歓喜感謝を、生命の根源(能動)へ、寿ぎ(言祝ぎ)まして、歌を唄うことで、また律動すると言う循環へ

"私達とは、回転させる事が出来る仕組み"

だと言うことなのですね。

頭脳が主だと思っていた誤認を紐解いて、命の座へ向けて、そこに本性を見出した構図に、自己を奥行きへ移すことへの壁を越えること。

脳で人生を動かしていた態度を、瓊(靈球体)の振え(振動)から、人生を動かしていく、瓊への依存=璽律(ヲシテの律動)=自立への転換へ。

親なる神から見た、賜物とは「あなた」の事だったのだと。
あなた璽神(じしん)、神成り(カミナリ)の未知へ。

【5月3日京都法泉院全68段の最終章まとめの一投稿の再解説   全13回】   終