能力がある人は仕事が早い

人のできないことができる。

 

だが一見能力があることはいいことのように感じるが

それが「悪」となる場合も意外と多い。

 

例えば、公立学校

能力の低い人達

個性のない人達

が集まる場所。

 

そういうところでは

「自分らと違う」(=目立つ)人が敵となる。

だから学校ではちょっと変わった個性を持った人

いじめの対象となる。

 

女子ならちょっと可愛くてモテる子

 

 

自分ら不美人や非モテと違うから

脅威と感じて攻撃して排除するわけだ。

その嫉妬の感情が「気に入らない」ということだ。

足の引っ張り合い、じゃまし合い、争い合い

 

無能で無個性の人たちは

そうするしか生きる道がない

違いがないから他を殺すしか

自分を優位に持っていく方法がないのだ。

 

相手の足を引っ張れば

相対的に自分の価値が上がる。

 

自分で努力や知恵を使って自分の価値を上げられない

だから、彼らはそうするしかないのである。

 

 

 

 

コンビニやスーパーのバイトでも

同じようないじめが起きる。

 

人と違う個性や経歴をもっていたり

仕事がうまくやれる人に対して

その他大勢の仕事ができない人たちは

脅威に感じて攻撃し始める。

面接でも理由をつけて落とす。

 

単純に能力が自分より高いから

気に入らないだけだ。

 

仕事のできない人は

仕事のできる人のことを嫌う。

能力の低い同類なら安心できるが

能力が高いと落ち着いていられない

 

席を奪われるかもしれないし

怠けることもやりにくい

なんか言われるんじゃないかと心配でたまらない

だから「無能な人の仲間に引き入れるか」「排除するか」

どちらかの行動に出る。

 

自分ら無能に合わせてくれず

能力を発揮しようものなら

「歩調を合わせない、言うことを聞かない

何か問題を起こすだろう」と感じ

仲間に入れないようにする。

 

無能同士団結して排除する。

 

仲間に入ったら入ったで

気に入らないから、先輩や上司の立場を利用して

能力あるものを攻撃して排除する。

不安要素だし、仕事ができると気に入らない

自分と同じようにサボってだらけてくれないと居心地が悪いのだ。

 

 

 

建設の現場でも、能力の低い先輩が

仕事のできる後輩にマウントしたり

意味もなくパシらせたりするのも同じだ

 

IT企業でも起きている

先に入ったほうが先輩

その立場を利用して攻撃する。

どこに行っても起きる。

 

女性同士でも男性同士でも

性別は関係なく起きる。

 

無能者は、無能力、無個性、だからみな同じ。

だから「先に入った」「先に生まれた」

ということくらいしか優位性が作れないのである。

 

ということは

「年齢が上だとわかった瞬間エラそうにする人」

「先輩だから威張ってる人」

「客だからと店員にエラそうにする人」

「先にいたからと権利を主張する人」

 

こういう人は無能者と考えていい。

付き合う必要のない人だ。

 

無能者と付き合うと、

潰し合い、

時間も金も奪い合い、

責任や作業のなすりつけ合い

低レベルでの立場権力争い

にまきこまれるだけ

奪われるだけでメリットを生むことはまずない。

 

 

 

 

被害に合わない方法は一つ

「関わらない」

独立して戦っていくしかない

その上で能力ある人と関係する。

 

能力ある人は決して群れない。

助け合いで一時的に協力するだけで

最後は必ず自分でなんとかする。

 

そうやって厳しい世界で生きていくしかない。

 

厳しいけどそのほうが

群れで無能者にいじめられるより

前向きで心地良いはずだ

 

 

 

自分が行こうとしている世界は

どっちだろうか?

 

それを知っとくだけでも

選択の判断材料になるのではないだろうか。

やる気が無くなる原因はこれに尽きる。

 

上司/先輩/同僚が

「メンヘラである」

「頭が悪い」

「能力が低い」

「私腹肥やし」

であり

 

そいつが以下を強制してくるからだ。

 

1意味不明な作業を強制

  (誰も得しない、意味不明、ムダ、ままごと、私腹肥やし)

  作業自体に意味はなく「ルールに従ってそれを行う」のが目的。

  要するに「おままごと」な職場。

 

  それをやって客も店も得しないし

  強いていえば「仕事こなしてる私が好き」程度。

  「私仕事してるわ」感を得るために、新人にもそれを強制する。

  要するに私腹肥やしに分類される。

 

  責任者がそういう人の場合は

  「動いてる=働いてる」と勘違いしてるので

  お客様を待たせても掃除をしてたりする。

  顧客満足度より自分満足度を重視してる。

 

  お客様のため、お店のため、と言いつつも実際には意味がなく

  「動いてる=正解」であることが多い。

  好きでおままごとしてる分にはいいが

  それを強制してくるのが有害。

  家や人生が充実してない女性に多い。

 

  結局これも先輩や上司の私腹肥やし

 

2悪習の染み付き、それを新人に強制(怠惰な同僚、怠惰を強制、私腹肥やし、クソ先輩)

  自分がこれまで通りサボりたいため、新人にもそれに合わせさせる

  まとめると私腹肥やしに入る。要するに先輩の自慰行為。

 

3先輩に嫌われて小言を言われる

  マウントとってくる、

  無意味な命令で従わせて「俺が上だと示す」のが目的

  だから必然的に理由が論理矛盾や嘘だらけになる(ようはイチャモン)

  命令自体に意味はなく、それをやっても誰も得しない。

  先輩の自慰行為でしかない。

 

 

そういう私腹肥やしに付き合う必要はないのだが、

新人だから立場上逆らえない状況だ。

 

逆らったら実際は勝てるけど、

そうすると争いになり、勝っても負けても関係は破綻する

 

だからやはり新人は「従う」しか選択肢がない。

 

 

 

やる気が無くなるのは

先輩上司の「私腹肥やし」「自慰行為」のためにその作業を強制してくる

だから仕事のやる意義がなくなってしまうからだ。

 

要するに「それをやっても社会貢献できない」から

「やる気が無くなる」のだ。

 

 

先輩上司がクソだと不幸になるということだ。

これは人のせいにしてるのではなく

事実である。

 

 

どんなに怠惰に見える人でも

先輩上司が好きなら勝手に働く

好きな人を喜ばせたいのはみな同じだ。

 

好きなら自分から進んで

先輩のために、会社のために、お客さんのために

みんながより良くなるように動く。

誰でもそうだ。

 

好きな人がいないからやる意義がない

もっと言えば上司先輩が嫌いだからやらないんだ

 

人は意味のないことはやらない。やりたいと思わない。

「嫌い」とは「私に害を与える者」である。

私にマイナスを与えるものを手伝う理由はない

誰でもそうだ。みんなより良くしたいしなりたい。

 

だれでもマイナスになることは

する必要もない。意味もない。だからしたくない。

 

マイナスになることを強制されるから

やる気が無いのは当然だ。

よって、やる気ないのはクソ先輩クソ上司が原因なんだ。

 

 

人は「結果」が出ないと辞めてしまう

辞めてしまう過程を「やる気が無くなる」という。

 

「誰かに貢献して良くなっていく」それが報酬だ。

「良くなる」が得られないとやる気が無くなる。

 

嫌いな上司の私腹を肥やしても

「社会貢献した」という報酬が得られない。

誰も得しない。

 

 

だからやる気が無くなるのである。

 

 

 

幸せに仕事をしたいなら

1好きな仕事をするか、

2好きな人の職場で働くか

どっちかを選ぶといい。

 

1「自動車が好きでそれをいじってる仕事が好き」

「接客が大好きでレジやりたい」

その場合は嫌いな上司でも頑張れると思う。

 

だが2「そうでない、内容にこだわりがない」なら

上司の好き嫌いが重要となってくる。

むしろ上司の好き嫌い=仕事の好き嫌い、になる。

 

特別好きなものはないな、という人

コンビニやスーパー、倉庫などは

2の傾向になりやすい。

そうなると先輩ガチャは避けて通れない。

 

 

 

2の場合、

やる気のコントロールって人に依存する部分が大きいね。

 

むずかしい。

 

 

 

教育は誰かが誰かに「教える」

というニュアンスが強いが

それは教育の一部にすぎない。

 

学ぶの語源は「まねる」から来ている

という説がある。

 

親がそうやっていたら

子は勝手にそれをマネしていく。

 

人は周りがそうやっていたら

その行動が勝手に写っていくものだ。

 

好きな人がやっていたら

更に移りやすくなる。

 

心理学に「ミラーリング」という言葉があるように

人は好意的な人の行動を真似する傾向にある。

 

人に好かれるためにそれを装って

ミラーリングを利用しよう、という話もあるが

 

逆に嫌いな人の行動は

あえてやりたくないものだ。

 

「親父が嫌いだと

その業種の仕事はしたくない」

その気持ちだ。

 

だからまねをする確率は

好感度と比例している。

 

だから教育したければ

まず部下に好かれる必要がある。

子供は元々は親のことが好きだ。

 

好きなら教育しなくても

勝手に行動が写るようにできてる。

 

鳥の刷り込みのようなものだ。

人間も同じ。

 

 

行動が写らないなら

「好かれてない」か

「意味がわかってない」かどちらかだ。

 

 

 

 

ただ、あれだめこれだめと

子供を否定し続けると

だんだん親のことが嫌いになってしまう。

 

嫌いになると教育はできなくなる

 

そうなると命令からの強制になる。

あれしなさい、これしなさい、

 

それはもはや教育ではなく

ただのモノ(奴隷)との関係だ。

 

ペットボトルを強制的に移動させるようなものだ。

犬にこっちおいでーではなく

首輪を無理やり引っ張ってるのと同じだ。

 

教育と強制は全く別物だ。

 

 

 

 

教育するには

「まず先に好かれること」

 

好かれてしまえば何も言わなくても

相手は勝手にあなたの行動を真似してくれる。

 

こちらがプラスになるように

勝手に行動してくれる。

 

「好きだからお返しをしたい」と思ってる

「君がそれが好きならそうしよう」

それが好きな人の「真似」なのである。

だから行動が似ていくのである。

 

好きでも真似しない時は

「意味・理由がわかってない」ときだから

そこで初めて言葉が意味を成す。

 

「こういう理由でこうやってるんだよ」

「このタイミングなんだよ」

「こっちが先のほうがこうなるから便利だよ」

「それやると私が困るよ」

 

と伝えるだけ。

好かれてるのが前提である。

意味がわかれば勝手にやってくれる。

やってほしくてもやるかやらないかは相手に委ねる。

それが「相手の存在を認めてる」ってことだ。

 

人間と人間の関係。

 

 

 

そこでもやりなさいとは絶対に言わない

絶対に命令はしない

それだめとか否定もしない

 

指示・命令をしたら

「人間とモノの主従関係」が始まる

 

相手を人間と見るのかモノとみるのか

一度モノとして扱ってしまったら

その関係が人間に戻ることはない

 

 

 

 

1、まず好かれること。

2、その上で希望を伝える

3、それを実行するための助けになる知識テクニックを与える

 

そうすれば相手は

進んで私のために動いてくれることだろう。

 

 

Win-Winの関係の出来上がりだ。

 

 

 

 

 

人を見る時、話が早いってめちゃくちゃ快適。 

何を言っても即答でOKしてくれる。 

OKでなくても状況を逐一教えてくれる。 

これだけでかなり人に好かれる。 

 

逆に嫌われるのは、

先延ばし、回りくどい、人を待たせる、

連絡がない、連絡すると言って来ない 

これは時間と比例して信頼が減っていく。

 

面白いこと言わなくていいし、

難しいことしなくていい

 

当たり前のところが当たり前にできてれば

要するに普通にしてれば普通に好かれる。

 

普通ができてないから嫌われるんだ。

 

 

 

何か言ったら、それに対する返答を返す。

それがセットでコミュニケーションだ。

 

レスポンス(返事)に時間がかかっていたら

コミュニケーションはそこで中断される。

保留になったままOKなのかNGなのかわからない。

 

ボール投げたら、相手は持ったまま返ってこない。。

当然、あれ?どうした?何かあった?とストレスになる。

 

人の脳は中途半端を嫌う。

来るのか来ないのかどっちかにしてほしい。

だからストレスになる。

途中で放置されれば

時間が経てば立つほどストレスになる

 

ストレスになると相手を嫌いになる。

はっきり「嫌い」とは感じないが

心の底で無意識レベルで相手への憎しみが溜まっていく。

 

だから即答は良い関係を築きたければ必要だ。

時間がかかってるならその状況を教えておこう。

それは相手への配慮だ。

 

 

例えば、

遅刻するのが悪いとは限らない

どれくらい遅れるのかが

「わからない」ことが問題なんだ。

わからない=ストレスを感じる

=心が削られる=私に害を与える人だとなる

 

 

だから遅れるなら逐一報告すれば問題ない。

 

「10分遅れてるよ」

「今ここだよ」

これだけで相手は安心する。

ストレスが軽減できる

遅刻は問題ではなくなる。

 

 

 

 

文化ってうまく出来てる

むしろ「いいものだから文化となって残った」のが正しい。

 

敬語、挨拶、礼儀、返事、報告とか

会社で言えば「ほうれんそう」

 

 

 

 

これらはやったほうが得だ。

相手のための配慮だ。

(配慮だから強制するものでもない)

配慮すれば相手に好かれる確率が上がる。

嫌われる確率も下がる。

 

 

さて自分はできているだろうか。

 

 

人がドタキャンする理由は

「利益が損失を上回ったから」だ。

 

それは今起こったとは限らない

不快が積もり積もって蓄積し

然るべきときにドタキャンが発動する。

 

運転免許試験の減点方式

センター試験

デートとそのあと

面接からの採用通知

と同じ。

 

結論はある時点で出てるし

やりとりから予定執行までの間に

減点方式で採点されている。

合格なら実行、不合格ならキャンセル、

と考えるといい。

 

なぜいつも土壇場なのか、急なキャンセルなのか

それは、もっと前もって言うと

グダグダ揉めるのが目に見えてるからだ。

だから最後の最後で伝える。

 

最後の最後で突然言われると

「何でここまちがってんの?」とか揉める場合がある

だからそれができないように

試験が終わって帰ってから

その最後のタイミングで言うのが最適なんだ。

 

予定のキャンセルが

いつも急なのもあなたがそうさせてると言える。

 

前もってキャンセルを伝えると

「え?なんで?」

「じゃぁこの日は?」

とか代替案を出してきて相手するのがめんどくさい

「どの日でもおまえとは会えないんだよ」が本音。

だからさらなるグダリを防止するために

キャンセルはいつも急なんだ。

 

 

減点方式は試験が始まった時点からスタートしている。

そこでグダるごとに減点され

一定のラインを超えると

不合格は確定。だが試験は一応最後までやる。

 

で最後の採点のときに不合格通知をだす。

それと同じだ。

 

デートの最中にミスしまくると

「この後はないな」と彼女の中ではもう決まってる

だから店を出てからどうあがいても無理なものは無理なのだ。

もう不合格は確定しているから。

 

ラインやりとりの時点で色々ストレスを与えてしまうと

「2週間後の予定は多分行かないな」ともう心に決めてる。

直前に急に時間が空こうが

 ”急に仕事が入る”ことになる。

あなたが「だいぶ前に」そうさせてしまっているのだ。

 

 

 

ただ、それは頭がいい人が

頭が悪い人に対してドタキャンする場合の話。

上の立場のものが、下の立場の人に対して

テストしている、ということだ。

 

 

 

ドタキャンするされるには二通りあって、

 

Aするほうが「まともな人」の場合と

Bするほうが「愚かで頭が悪い」場合。

 

上の理由はAである。

まともな人が、愚かな人にたいする最適解なわけだ。

 

はじめは会う気があった(といっても会ってもいいかな程度)が

相手が私のことを何も考えてない

無神経で待たせたりイライラさせたり

ストレスを受け続けてたまっていく

だから会う気がどんどん減って減点の蓄積の結果だ。

 

 

 

 

逆に「愚かな人」がドタキャンする場合は

そこに理由などない。

 

愚かな人は先がみえてないし

自分以外が見えてない。

 

めんどくさいとか、気分とか、

今この瞬間の自分のことしか考えてないので

相手はそれに振り回されるばかりだ。

 

よく言い換えると「自分に素直」で「いい意味で人間臭い」のだが

今回は悪いニュアンスで伝えたいので

「自分のことしか考えてなくて人に迷惑かけてもお構いなし」

といっておこう。

 

 

 

 

愚かな人目線で見ると

 

何で急にキレるの??と動揺するが

「原因はお前にある」としか言いようがない

 

おまえが相手にストレスを与え続けて

相手が遂に「我慢の限界に達した」

それだけの話しだ。

 

これまでストレスを与えてたなんて

微塵も思ってなかったに違いない。

 

 

 

 

行きたくない、うざい、旦那が無視する、会話がない

話したくない、仕事したくない、

挨拶したくない、遅刻する、仕事が遅い

最近の若い者はすぐ辞める、

 

 

それは全部「あなた(相手/会社)が原因」なのである。

あなたが私をそうさせてる」のである。

 

 

誰も好き好んで遅刻しようと思ってない。

おまえが嫌だから躊躇して遅刻するのだ。

 

誰も好きで無視してるわけじゃない

おまえと話すといつもつまんなくて不愉快な思いをしてるから

極力嫌いにならないような最適の行動をとってるだけだ

 

誰も好き好んで挨拶をしないわけではない

お前に挨拶しても無視されたりして

不快な思いをしたからストレス回避のためにしなくなったのだ

他の人にはちゃんとするさ。

 

誰も好きで仕事したくないわけではない

はじめはやる気あったけど

俺のやる仕事に対してお前がいちいちイチャモンつけるから

あれやってもこれやっても文句言うから、

仕事したくなくなるんだ、やるきなくなって当然だ。

おまえの態度が「めんどくせーな」って気にさせてんだ

 

誰も宿題をしないと言ってるわけではない

お前がしなさい!って「命令するから」

それに従うと「自主的な宿題」でなく「やらされる宿題」になる

だからやる気が無くなるんだ。

やらされをしたい人なんて誰もいない。

お前の一言が元々あったやるきを亡くさせたんだ。

 

 

どれも言い訳に聞こえるかもしれないが

「あなたがそうさせている」んだ。

相手のストレスになる行動がなければ

そうはならなかったはずだ。

 

その流れでいうと

極論「DVもあなたがそうさせてる」可能性がある。

 

妻に言葉攻撃に対して旦那がずっと我慢しててもう限界。

それでも毎日毎日四六時中、妻が言葉で攻撃してくる

 

そうなると言葉の精神攻撃を辞めさせるには別の方法、

つまり物理・暴力に頼るしかなくなる。

(もちろんそうでないケースもある)

 

 

二人の関係は二人で一つ。

今の関係は、相手の反応に対して、自分が反応している。

(どっちが先でもいい)

 

 

話がそれたので戻すと、

「小言を言う」から相手は「やる気を無くす」。

「ストレスを感じる」から「その気がなくなる」のである。

当たり前の話ではあるが。

 

 

 

 

ストレスがなければ勝手に(自発的に)やる

気持ちよければ また繰り返す のである(行動分析学)

 

人の行動は「快楽の獲得」と「苦痛の回避」しかない

 

 

やってほしいなら希望だけ伝えておけばいい。

「片付けてほしいな」「仕事してほしいな」

 

後のやるやらないは相手が決めることだ。

相手のこちらへの好感度で決まる

 

好きな人、いいやつ、のためなら

助けてあげたいと思うのが人情だ。

誰だってそう思う。

 

逆に言うと

助けたいと思わないってことは

あなたのことが嫌いなのだ。

ニュートラルでも助けたいとなるはずだ。

 

 

 

だから「もしも君のことが嫌いじゃない」なら

「希望だけ伝えておけば勝手にやってくれる」

「嫌い」なら「希望を伝えても動かない」だろう。

 

「勝手にやってくれない」ってことは

「君のことが嫌い」なんだ。

 

だから

自発的に行動してもらうには好感度が重要となる。

人に嫌われない、人に好かれる、

これは非常に重要な要素だ。

 

判断を相手に委ねる任せるのだから

だから「”必ず”やってほしい」とか

完璧を求めるのはおこがましいということだ。

 

相手はあなたの道具ではない。

やるかやらないかは相手の自由だ。

 

小言を言った(命令した)時点で

可能性はそこで終わってしまう

「こいつ嫌い」となるからだ。

嫌いになれば動いてもらうには命令するしかなくなる。

それは自発的ではない。

 

だから絶対に命令してはいけない。

期待もしてはいけない

 

道具として一度でも命令に従ったら

主人と道具の関係」が成立してしまうからだ。

 

一度関係が成立すると

二人の関係が別の関係に変わることはない(一貫性の法則)

 

そうなると二度と自発的にやることはないだろう。

 

 

自分の発言や行動が

相手にどうさせてしまっているか

 

よく見てみると新たな発見があるかもしれない。

 

 

段取りが悪い人はやはり不幸を呼びやすいと思う

 

自分がモタモタして人を待たせて

その結果結局だめになった(自滅)、

としても結局相手が悪いと本人は感じるようだ。

 

その結果、自分が悪いのに

人が悪い事になって勝手に嫌う。

 

どんなにまともな人が好意でしてあげても

自分でぶち壊して、ダメにして、相手のせいにして

結果的に嫌われ、敵対されるハメになる。

 

 

与えても損、もらうことはない

でも因縁をつけられ嫌われることはある

喜ばせてももらって終わり

底なし沼のような人だ。

 

こちらにメリットはなにもない。

損害だけがのこる。

 

 

そういう人とは距離を置こう。

仕事でもできるだけ関わらないほうがいい。

 

「触らぬ神に祟りナシ」だ。

 

「金が無い、時間がない」

「彼氏いる」「奥さんいる」

「今は彼氏作る気分ではない」

 

これって嘘でもありほんとうでもある。
相手や状況によっていくらでも変わる

 

要するに、

相手にその価値があればOKにもなるし

相手にその価値がないからNGになる、だけ。

 

 

 

実際に、

不快な人とのご飯を付き合うとなると

出せる金額の価値が多めに見積もられる。

お金くれるなら行ってもいいよ、となる。

「私の価値」x「時間」で

「このつまんない会食」(投資対象)に

見合う(イコールになる)金額が必要となる。

 

 

方程式だ。

 

 

 

「私の価値」(x時間)」=「会食の価値(リターン)」

 

さらに、「私」の予定が埋まってると、私の価値が大きくなり

その分「会食の価値(リターン)」の上乗せが必要となる。

 

逆に

楽しい人とご飯行くなら、払ってでも行きたい。

「その日空いてる=ヒマまで困ってる」のも同じで、

ヒマを埋めてくれる(利益)なら「会食の価値に上乗せされる(価値が上がる)」

 

 

もちろん行けば不確定要素は多くていいこともあるかもしれないが

メンバーを見てつまんないメンバーだと更に「会食の価値」は低く見積もられる。

「リターンの価値」が下がれば、=「私の価値(投資対象)」が上がる

その会食で意外と楽しかったら、

見積もってた期待を上回り、「意外と」楽しかった(利益があった)となる。

 

 

 

そんなふうに、相手の印象(実績からの期待)によって

価値は大きく変わり

その投資に見合うだけの「お金や時間」が「十分かそうでないか」

その結論で「その価値があるかないか」と言っているだけだ。


「飲み会の5000円 < 使える所持金」ではなく

「その飲み会の価値 < リターンが5000円以上である」かどうか

 

物理的な金や時間の話をしているわけではないのだ。

 

 

 

同じように、相手の男性を見積もって

付き合う価値があれば「彼氏募集中」

その価値がなければ「今は彼氏ほしくない(時期)」となる。

 

 

 

言葉っていつも嘘と本音が同居してるなって思う。

面白い。

 

 

僕らは食べ物を食べて生きているが

胃は、一定期間食料が来ないとすぐに消化機能を失う。

 

2日断食しただけで、

とんかつを食べると胃に拒否されて

戻してしまうくらいだ。

 

それと同じように

毎日筋トレしているマッチョでも

2週間もすれば筋肉はしぼんでいく。

 

 

 

 

同じように人間関係も

コミュニケーションがなくなると

すぐに疎遠になる。

 

だから、胃も筋肉も人間関係も

何かしら機能を果たしてないと

それを維持できない。

 

つまり、関係を維持するには定期的なコミュニケーションが必要だ。

 

ただ、コミュニケーションといっても

「意味のある」「やりたいと思う」

「生産的な」

「私にとって必要なコミュニケーション」

「栄養のあるコミュニケーション」

でなければいけない。

 

食事で言えば「栄養のある」もの。

体にとってプラスになるもの

 

体と心はつながってるので

物理的栄養はなくてもそれ以上に「精神的に栄養になる」もの。

(この場合タバコとか)

 

 

ダンボールを食べて生きていくのは難しい。

なぜなら「栄養がない」から

食べても体にとって「意味がない」からだ。

 

 

これと同じように、

意味のないコミュニケーションでも関係維持はできない。

 

 

では「意味のある、栄養のあるコミュニケーション」とは

なんだろうか?

 

それは、

「話したい人と話す、

 快適な人と話す、

 興味のある人と話す」

ということだ。

 

 

 

人の行動は「快を求め、苦を避ける」

(プラスを獲得し、マイナスを避ける)

それ以外にはない。

 

嫌いな人、不快な人、とのコミュニケーションは「苦」だ。

無意味も苦である。

 

数字で言えば「マイナス」。

(ゼロは釣り合ってる状態、何も感じない状態なので

 認識されないものだから除外する)

 

 

不快な人とはコミュニケーションできない。

するメリットがないから、する必要もない。

心の栄養にならないし、金にもならないし

総じてプラスがないからだ。

 

今すぐ利益がなくても

「いつかどこかでお返しするような人」ならいいが

そうでないなら希望もない。

 

 

人は実利と期待のために行動する。

プラスとは、今すぐ現実の利益(実利)だけではなく

未来の可能性(期待・希望)も含まれる。

 

 

食物は「心と体」の「栄養」のためだし

コミュニケーションは

相手から得られる「利益(期待)」のためだ。

 

 

 

 

マッチングアプリをやってると顕著だ

 

男性も女性も「実利と期待」がないと

やり取りする理由がない。

 

外見が魅力的ならメッセージ交換したいと思うし

それがなければ他の利益(収入(仕事)、希望(将来性))を求める。

女性なら、男にとって「+体」という価値がある。

それもないなら話す価値がない。
 

もらうだけ、あげるだけ、になってしまうからだ。

それは交渉とはいわない。

 

みんな何かを求めて金を払ってるのであって

リターンのないことはやらない。


 

だから

男性でそういう目的の人が居るのは否めないし

女性が結婚(金と将来の保証)目的の人

非モテが寂しさ埋め(時間つぶし)目的の人

 

「体目的」「金目的」は最後の手段なんだ。

 

あなたに価値がないから他の持ち物(金・体)で

「交渉の手を打とう」ということなんだ。

それすら出せないなら交換(交渉=関係成立)は不可能だ。

 

 

 

 

 

 

人は「実利と期待」を得るために行動する。

 

そして関係とは利益の交換だ

片方だけの利益だけでは成立しない。

 

双方にとって利益じゃないと成立しない。

 

 

 

ある人と連絡頻度が減ってきたなら

 

相手にとっての栄養(利益と期待)があるか

今一度考えてみよう。

 

仕事が早く終る人と終わらない人の違い。

 

その理由は色々ある。

世界観の違い、

目的の違い、

上司が無能だから、とか。

 

その結果、

仕事を早く終わらせるのが悪となる

だから終わらせないだけだ。

 

 

能力が低いとか、頭が悪いとか

運動神経が悪いとか、無駄が多いとか、

たしかにそうだけど、本質はそういうことではない。

 

その理由は人や目的によって色々ある。

仕事が遅い彼らの立場に立ってそれを考えてみる。

 

 

 

 

その理由一つとして

仕事が遅い人にとっては「速さの概念事態がない」

むしろ「状況によっては早いと悪である」ことすらある。

 

その状況の例を出すと、

やってる事は「仕事」ではなく

管理者(上司)のための「おままごとや茶番」である。 

 

つまり「仕事の目的」が

「管理者の私腹肥やしのため」の場合だ。

 

そのため「暴力で社員を動かそうとしている」からだ。

 

 

その場合、彼らの目的は 

「上司の目をかいくぐること」や

「仕事してるフリをすること」

「時間いっぱい動いてる風をだすこと」なんだ。

 

だからその場合、

仕事を終わらせないこと」が仕事となる。

 

 

彼らの目的は「管理者を満足させるために」に

「ずっと仕事をしてる(フリ)」

「常に動いてる(フリ)」

その場合、「早く終わらせる」事は悪となる。 

 

早く終わらせると「サボってる!」っていわれるから。 

そう言われるのが嫌だからそう言われないようにする。

その管理者には何が仕事か見えてないのである。

(見えててももしかしたら更に上がそうさせてるのかもしれない。)

 

生物のあたり前の行動である。

 

だから彼らは作業を引き伸ばし、忙しいといい、 

意味もないのにムダに動き回り、

時間いっぱい使って「仕事してるフリ」を続けるのである。 

 


そうしないと管理者が文句言うから

そうなるとめんどくせーから

管理者を満足させるためにそうしてるだけなのである。

 

知らずのうちに

管理者がそうさせてる」のである。

 

 

 

要するに、仕事が遅い理由は 

管理者がめんどくせーからそうしてるだけだ。

「サボってるって言われないように」

「文句言われないように」

「管理者が気が済むように」それをやってるだけだ。

 

お客様のためとか、

お店をキレイに保つとかそういうのは詭弁だ。

詭弁は論理的にはそうだけどなんかしっくりこない。

 

やる気がでないのは

やる意味がしっくりこない、意味不明だからだ

 

そういう頭の悪い管理者(上司・店長)の元では、

もし仕事を早く終わらせても、

意味のない別の作業が増えるだけだ。

 

「時間があったら掃除しろ」はその典型

 

時間がなければやらなくていいことは

時間があってもやらなくていいことだ

 

早く終わらせることで「誰も得しない無駄な仕事」が増えるだけ。

なら仕事を時間いっぱい使って最小限にやるほうが合理的だ。

 

だから彼ら「仕事の遅い労働者」は

本能的に、無意識でそうしてるのだろう。

 

その状況ではそうするしかない、

そうなってしまう、というのが正しい。

 

 

 

 

多くの会社員の仕事内容は

「管理者の個人的な自己満足を満たすこと」だ。

 

それを人助け、社会貢献というわけだ。

世の寂しい上司の

欲求不満や自己満足を満たす

 

行き場のない怒りを八つ当たりによって発散させ、

部下が耐えてあげる。

従ってるふりをして満足させてあげる。

課長すごいですねと持ち上げ承認欲求を満たす。

 

仕事によって生み出すものは

上司の満足以外なにもない。

 

殆どがそういう仕事だ。

でも世の中それでうまく回ってる。

お勤めごくろうさまです。

 

でも、コロナでその暴君たちが平穏な平日の自宅に放たれたのだから

そりゃ奥様と揉める家族も増えたことだろう。

 

部下達がどれだけ会社で上司の自慰行為のお手伝いで、

奥様方の平穏な毎日に貢献してたかがよく分かる。

 

 

 

 

 

・・・話がそれたので戻す。

 

 

そういう労働者にスピード感を出してもらいたいなら

やる意味やメリットを与えればいい。

(意味をこじつけても詭弁ではムダ)

 

 

具体的には

 

「早く終わったら暇な時は有給で休んでていいよ

 その代わりお客きたら仕事優先してね。」

 

「早く終わらせたら日当そのままで早く帰っていいよ」

 

 それなら誰でもスピード感もってやる。

 そうしたほうが労働者にメリットがあるからだ。

 

 その場合、会社も損はしない。

 むしろやる気のある社員が増えてお互いに嬉しい

 辞める理由もなくなる。双方にとってメリットしかない。

 

 

 

人はメリットがないと行動しない。

 

それを本当に理解したとき

お互いに快適な環境がつくれるはずだ。

 

 

 

 

「道具の扱いは人の扱い」

ってよく言う。

 

「道具に接する態度は

人にもそのまま当てはめて間違いない」

というような意味だ。

 

これは本当に当てはまる。

 

例えば1、

 

洋服をすぐ汚すような人は

人に対して迷惑掛けても気づいてないし

相手が不快でも気がつかないような人だ。

 

 

別の例えば2

 

大切なバイオリンを愛用していて

常にケースに入れて持ち歩き

置く時はそっと丁寧に起き、

ときには磨いて眺めたり、

それを仕事道具としてる人は

20年も30年もメンテしながらそれ一本で使う。

 

そのような人は、奥さんや旦那さんも

丁寧に接して、常に不快にさせてないか気を配り

不快を与えてしまったりした時は穴埋めをしたりと

常に関係のメンテナンスを怠らない。

 

 

例えば3大工さんもそうだ

 

大工道具をたくさん持ってて

それが壊れても修理したり、

何十年もメンテしながら愛用してる人は

人脈も多く、人のメンテナンスも怠らず

常にいい人に囲まれて、奥さんも大切にしている。

 

 

ただ、「道具の扱い方が人にも適用される」

のは確かだが、中にはそうも行かない状況な人もいる。

 

物をポンポン捨てる人

仕事をコロコロ変える人

 

そういう人は色んな事情で

そうせざるを得ない人もいる。

 

 

例えば

・部屋が狭くてスペースがないとか

・私のことを理解できる人がいなくて

 言ってることをわかってもらえない、

 だから居づらくて辞めるとか

 

 

 

ちなみに僕は

 

自分が楽するだけのためとか

欲望を満たすため、

私腹を肥やすため」に次々を変えるのは

とても気に入らない。

 

だが、あれも違う、これも違う、と

よりよいものを探し求めるため」に

仕事も女もコロコロ変えるのは、とても共感できる。

 

それは悪く言えば「使えないから」だが

よく言えば「私にとっては価値がない」

「望み目的に合わない」

「労力に見合ってない」

だから「私に相応しくない」

だからほかを探すわけだ。

 

他にも「あれにもこれにも興味があって」、

あれも素敵これも素敵!選べない!という場合もある

 

目的や状況によってはどれも正解になりうる

 

 

書いてて思ったが

私腹でもある意味

人に迷惑をかけてなければOK

(もちろん相手目線で)

(人=自分が大切にしている範囲の他人)

なのかもしれない。

 

人に迷惑を掛けていなければWIN-WINとなり

人から嫌われることもないはずだ。

(「自分が大切にする範囲外」

 の人のことは無限にあるので考えるべきではない。

 キリがないから)

 

 

 

話を戻すと、

 

物事には必ず二面以上の性質があるから

「道具の扱いは人の扱い」は

そうとは限らない場面もある。

 

だが物事を単純化して見た場合

「道具の扱いは人の扱い」

は一般的にはとても当てはまるなー

 
というお話でした。
 
さて自分はどうだろうか?

モノの扱いは雑ではないか?

それはなぜだろう?

どういうものなら大切にするだろうか?