花のいろはうつりにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに

絶世の美女・小野小町に詠まれた桜、そして滅びゆく美―。
しかし、花そのものが滅びるわけではありません。
めぐる季節の中で、花はまた春に咲きます。
この永遠の繰り返しにこそ、花の生命が息づいているとする宇宙観こそが、
私たち日本人の心根といえるでしょう。
人の命も花のように、親から子へ、子から孫へと受け継がれてゆきます。
日本人の命を守り育んで来たもの、それは命の根(イノチノネ)と言われる稲でした。
古来、日本人はこの稲を主食とする生活により、永遠の命を今日までつないできたのです。
日本を「瑞穂の国」と呼ぶのも、この瑞々しい稲穂の実りを称えてのこと。
美しい四季の風景のなかで続けられて来た米作りは、
日本の歴史、日本のこころといえるでしょう。

瑞穂の国の神話(『日本書記』神代巻)は、保食神(うけもちのかみ)が魚や鳥獣、
耕作のための牛馬、そして水田種子・粟・稗・麦・豆などの稲を生んだと伝えています。
稲を種子として、人々に農耕を教え、天上の高天原にて稲作をはじめたのは、
天照大神でした。
万物に恵みを与える日本の母神ともいえる存在の出現です。
しかし、つぎに神話は、天上世界の異変を伝えます。
天照大神の弟神である素戔嗚尊は、水田の畔や溝を壊すなどの乱暴を働きます。
このくだり『古事記』では、
素戔嗚尊の乱暴によって織女が死んでしまうほどの事件となっています。
さて、弟の荒んだ行いに心を痛めた大神は、天岩屋に入り岩戸を閉じてしまいます。
これが世に有名な「天岩戸事件」です。
やがて、世界は光を失い、国土には禍が沸き起こります。
そこで神々は文殊の知恵を振り絞って、長鳴鳥を集めては鳴かせ、
勾玉や鏡を作っては榊につけて祈りを続け、
さらには女神の天鈿女命(日本最古のストリッパー)を擁して、神楽を舞わせたのでした。
この祭り、たいそうたのしそうな宴となったようで、
大神はすこしばかり気になって、岩戸からチラと覗いていたのです。
それ見たことか!と、ここにきて現るのは天手力雄神。
いかにも強そうな名前の男神が、電光石火の早業で岩戸を引き開けることに成功。
日本は光と秩序を取り戻したというわけでした。
神話が伝える物語は、私たち日本人に多くのことを暗示します。
実りある稲穂のイメージ「瑞穂」とは、我が国日本の豊穣=平和の象徴です。
しかし、この自然の恵みに対していつしか感謝を忘れ、
自然の秩序を破壊するという「人事」によって、世界は暗黒へと堕ちていきます。
神話がひとつの物語だとすれば、
ここまでの「自然破壊に対する罰」というストーリーは世界的にみても類型的かと思われます。
(たとえば、ギリシャ神話における農業女神デメテルの閉じこもり事件など)
しかし、その後の解決策がこの神話の白眉といっていいでしょう。
これこそ日本的かと思われるのが、女神のストリップによる笑いの誘発です。
「女が性器を露出して笑いを生んで世界を救う」―。
これだけを抜き出して書いたら、
どれだけ非難の怒声を浴びることかと頭を抱えそうになりますが、
これは神話で語られた事実であって、
そこには何かしら笑って過ごせない真実があるはずでしょう。
<日本的なるもの>、<女性的なるもの>を探っていくとき、
この『天岩戸事件』には、
日本的な女性像を知る意味でとても重要な意味があると考えます。
瑞穂を生むのも女神、世界を照らす太陽も女神、そして世界を救うのも裸一貫の女神―。
女たちに何から何までやってもらって、男たちは何をしているのでしょうか?
素戔嗚尊しかり、光源氏しかり、織田信長しかり・・・
遊びか喧嘩に明け暮れる歴史といいましょうか・・・
そんなことまで考えてしまうほど、
日本は女性上位ひいては女性崇拝の国なのではないかと察します。
風に揺れる瑞穂の波―。
美しい自然を愛でることは、美しい女性を愛でることと同じなのではないでしょうか。