ボランティアの送迎運転時、こちらはお年寄りを乗せている為制限速度を守り、一旦停止もする。
しかしレースをしているかのように無理な追い抜きや割り込みをよく見る。
彼ら、彼女達は一分一秒を争っているようだ。
身勝手な光景を見ながらふと思った。
政治や選挙に関心のない人と身勝手な運転をする人が重なるような気がする。
抜き行く運転手の顔を見ると100%賢そうな顔はしていない。
前から書いているが顔は思想を物語っている、ああいう恥ずかしい顔にはなりたくないものだ。
いい年寄りが帽子を被って食事、なんなら箸もまともにもてない。
クチャラー、口に食べ物が入ってるのにお喋り・・・
見ているこちらが恥ずかしくなる。
東京オリンピックくらいには、私はお爺ちゃんになっているかも知れない、このバカな顔をした奴等とマナーの悪い老人を見て、孫が私をどう見るかを考えると身を律しないといけないなと自分を振り返る。
一家の主になると人間はタガが外れていく、私も両親と食事をしていた昔であれば今より行儀も良いだろうが、やはり自分に甘い部分があるのがわかる。
顔と言えば、先日嫁のお母さんが92歳で逝去し久しぶりにじっくり息子の顔を見たら入隊時よりは締まった顔になっていた。
体は一回りとはいかないが、締まったラインがクッキリでている。
大きくなった背中をみて、頼もしいと思った。
次に顔を見るのは正月だと言っていたので次回を楽しみにしようと思う。
私は若くて子供を持ったからだろうか、嫁は子離れが出きそうにない。
確かに心の中では私もそうだが、それを態度に出さない様にしている。
子離れもできない人は孫になるとどうなるのだろう。
幸い?にも私は子供が好きなほうではない、しかし毛嫌いしている訳ではない。
子供と大人の差?違い?を教えるには目線を子供に合わせる事はできない。
わきまえた人間に育てるためには、迎合はしないほうが子供の将来にプラスになると思うからだ。
息子の話しを聞いても、上司にだいぶ可愛がられてるようだ。
話しを聞きながら、私の育て方は間違ってなかったなと確認をしながら、息子の勤務ぶりを聞いている。
このブログかツイッターで書いたと思うが、我が子が可愛いのは当り前、他人にどれだけ可愛がってもらえるかが価値だと思うし、間違いないと思う。
その為には、可愛がりたいところを我慢し、我慢させるのが躾だとも思う。