Windows7のサポートがもうすぐ終わります。
まだ使っているところも多いようです。危ないですね。
より良いOSを提供することはいいのですが、永く使えば使うほど使い勝手が良くなるようなものを開発するという発想にはならないのかなと思ってしまいます。そうなことをしたら利益が上がらないけどね。だけど、ユーザーのことを考えているのかなと、ふと疑問に思うこともあります。
Windows7のサポートがもうすぐ終わります。
まだ使っているところも多いようです。危ないですね。
より良いOSを提供することはいいのですが、永く使えば使うほど使い勝手が良くなるようなものを開発するという発想にはならないのかなと思ってしまいます。そうなことをしたら利益が上がらないけどね。だけど、ユーザーのことを考えているのかなと、ふと疑問に思うこともあります。
昔はこんなに暑くなかったぞ!
暑くなかったと思う。
絶対にそうだ。
オリンピックの後はパラリンピックで熱い夏が続いでいますね。今回はNHKで放送枠が大幅に拡大され、生中継もあるので今まで見たことがない人やよく知らなかった人にも、そのおもしろさをわかっていただけたことでしょう。
一口に障害と言っても様々です。それぞれ異なる原因でいろんなケースがあるからです。私の場合は生まれるときに何らかのトラブルが発生し、脳に酸素が行き届かなくなり、脳細胞の一部が機能しなくなりました。これを脳性麻痺といいます。出産時は様々なリスクを伴うことがあります。今はもしアクシデントが起きても適切に治療をすれば脳性麻痺はほとんど後遺症が残らないので障害は軽くてすみます。
漢字で「障害者」と書くと何か害があるようなイメージを持つことから最近では「害」の字をひらがなで記載されるようになったのでしょうが、個人的には文字の問題ですか?と言いたくなります。
そもそも健常者と障害者を分ける境界線はどこに引けばいいのでしょうが。先程も述べたように人間は複雑にできているぶん、ちょっとしたアクシデントが起きただけでも様々なところに支障が現れてくるものです。しかし、何らかの支障があったとしても、そのことに気付かず、一生をそのまま過ごせる場合もありますし、ある日突然に隠れていた障害が表に現れるケースもあります。
ここで私が言わんとしていることは「完全な人間はいない」ということです。誰でも何か問題を抱えて生きているのです。それが身体の機能に表れたとき身体障がい者となります。
ヒトラーは優秀で完璧な人間だけの完全な理想郷を作ろうとしたようですが、この思想の根本的な間違いは「人間は完全無欠な存在ではない」ということを理解していなかったことです。
欠点があるから人は向上心を持って前進することができるのです。
失 って得たもの
やまもと雄大
何かを失って
貴(とうと)い何かを得られたような気がする
たぶん
そうなのだろう
失った何かより
そのために得た何かのほうが数百倍の価値がある場合が多い
人間の闇の部分には他人より自分のほうが優れていると思いたいという気持ちから人を見下したり差別したりしてしまうことがあると思います。優越感というやつはとても魅力的に感じてしまうもののようです。しかし、その一方で疎外感を感じる人達も出てくるのは当然のことだと言えるでしょう。
本当に優れた者ならば他人(ひと)を見下したり、差別したり、排除しようとはしません。日本に比べ、西洋諸国では差別意識が根強いと感じる理由は周囲の国々が敵国で一時も油断できなかったからかもしれません。あくまでも僕の考えですけどね。
仏教が入ってくる以前の日本では弱者はみんなで守り大切にする考え方がありました。「この子は私達の分の災難を一手に引き受けてくれたのだから」と言って大事に育てていたらしいですよ。そこには「劣っている」とか「優れている」という概念はなかったのではないかと思います。
やがて仏教の教えを違った解釈をして「因果応報」を用いるようになり優劣をわけようとする社会ができてきたという説を聞いたことがあります。
疎外感を持たせない社会をつくらないとテロは無くならないと思います。..
サッカーのカズと言えば三浦和良選手ですが、そのカズがフットサル日本代表として活躍しています。うれしいですね。
思い起こせばいろいろありました。やっとワールドカップに出られるときがきたと思ったら、まさかの代表から外されるという異常事態が起こってしまいました。今でも正常な判断だったとは思えません。そんな不埒な出来事にも負けず続けてこられたのはやっぱりサッカーが大好きだからでしょう。
僕もサッカーが好きだから同じように続けているのだと思います。
正しく「継続は力なり」と言えるでしょう。
「継続は力なり」の意味
一つ一つの効果は微々たるものであっても、たゆまず努力を続けていけば、やがては一つの大きな事業を達成できる。または、物事を成し遂げるまで諦めずに努力し続けることが一つの力、能力であるということ。