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国際派日本人養成講座よりの転載です。

No.1385 ヒルビリーの「不仕合わせ」、大御宝の「仕合わせ」 : 国際派日本人養成講座 (seesaa.net)

 

アメリカの繁栄から取りのこされた山地の白人貧困階級ヒルビリー、それは我が国でも決して他人事ではない。

 

■1.「ただただ落ち着ける家が欲しかった」

 次期大統領選を戦っているトランプ候補が、副大統領候補として選んだジェームス・D・ヴァンス上院議員(40歳)の自伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』ではこんな生い立ちが紹介されています。
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 あるとき、学校の成績が下がりだした。そのころは、ベッドに横になっていても、騒音のせいで眠れない夜が多かった。(JOG注: 母親と義父・ボブの喧嘩で)家具が揺さぶられる音に、どしどし響く足音、叫び声、ときにはガラスが砕ける音。朝、目覚めたときには疲れきって気持ちも沈んでいる。[ヴァンス、p103]
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信じられない話だった。母は、地元の透析センターで看護師として働き出して、まだ数か月しかたっていない。ある晩、10歳年上の上司に食事に誘われた。マットとの関係が最悪だったため、1週間後にはその上司のプロポーズにイエスと答えたという。木曜に母からそのことを聞かされた私は、土曜には、母の新しいパートナー、ケンの家に引っ越しをさせられた。2年間で4軒目の家だった。[ヴァンス、p170]
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「ただただ落ち着ける家が欲しかった」というヴァンス少年の気持ちがよく分かります。しかし、こういう光景は彼だけの話ではなく、近所の家でも同様の話がたくさん出てきます。こうして疲れ果てた人々は麻薬や犯罪に走るのです。

 

 

■2.「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」

「ヒルビリー」とは「ヒル」が山地、「ビリー」は「野郎」で、アパラチア山脈あたりに住んだ貧しく無教養な「山住み野郎」といった侮蔑的な表現です。アパラチア山脈とは、北米大陸東部を南北に貫く低い山脈で、早くから開けた大西洋岸と、工業化の進んだ中西部を分けています。その狭間の山地で貧しい生活を送っているのが「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」ヒルビリーです。

 ヴァンス氏はケンタッキー州東部、まさにヒルビリーの土地に生まれました。一時は製材業と炭鉱で栄えた地域でしたが、現在は両方とも廃れて、貧困状態にある住民が3分の1、特に子どもは半分以上です。

 私もかつて、このあたりを車で通過したことがありましたが、アメリカとは思えない小さな貧しい家々が集まった村落に出くわして驚いたことがあります。通常、アメリカの中流の住宅地といえば、美しく刈り揃えられた芝生の前庭に、ベッドルームがいくつもある屋敷という感じですが、それとはまったく違った貧しい家々が、寄せ集まっていました。

 家々は間口がせいぜい一部屋か二部屋の平屋で、壊れた手すりなども修理されていない荒廃した感じでした。庭も手入れされておらず、ゴミが散乱し、雑草だらけ。住んでいる人々の荒れ果てた心持ちが感じられて、急いで通り過ぎた記憶があります。


■3.「黒人かリベラルのふりをしたのか?」

 そんな地域で生まれ育ったヴァンス氏が、一族でただ一人、大学、それも全米の公立校の雄オハイオ州立大学から、東部の超エリート校、イエール大学の法学大学院に進むという奇跡のコースを辿るのです。しかし、これはかつての「アメリカン・ドリーム」ではありません。逆にヒルビリーと東部エリートの世界がいかに分断されているかを訴えているのです。

 現にヴァンス氏の通った高校から、アイビーリーグ(イェール大学やハーバード大学など東部名門校群)に行った学生は一人もいませんでした。こういうエリート大学で、ヴァンス氏は自分のような労働者階級出身の学生には一人も出会いませんでした。

 ですから、ヒルビリーとして生まれた子どもが、東部のエリート大学に行くなどという事は「例外」であって、頑張れば実現するかもしれない、という「夢」にはなりえないのです。実際に、白人労働者階級は、自分の将来に夢を持てなくなっています。

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黒人、ラテンアメリカ系住民(JOG注: メキシコなどからの移民)、そして大学で教育を受けた白人は、子どもの世代が自分たちよりも経済的に豊かになると答えた人が優に半数を超えたのに対して、労働者階層の白人の場合は44パーセントにとどまった。また驚くべきことに、白人労働者の 42パーセントが、親の世代よりも自分たちのほうが貧しくなっていると回答したのである。[ヴァンス、p258]
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 そして、自分たちが敗者であることは、「自分の責任ではなく、政府のせいだ」という考え方が広まっています。ヴァンス氏がイエール大学の大学院に合格した時、驚いた実の父親はこう聞きました。「黒人かリベラルのふりをしたのか?」。優遇される黒人やリベラルはともかく、労働者階級の白人がまともに受験して、入学できるはずがない、という被害者意識の表れです。


■4.「ばあちゃん、神さまは本当にぼくたちのことを愛してるの?」

 こうして未来に希望も持てず、それも政府や社会のせいだと考えれば、自らの努力で頑張ろうという志も持てません。西洋社会では、個人の志や倫理は、キリスト教信仰によるところが大きいのですが、こうした絶望と被害者意識のもとでは、信仰を保つことも難しくなってしまいます。ある時、ヴァンス少年は、自分の面倒を見てくれている祖母にこう聞きました。

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「ばあちゃん、神さまは本当にぼくたちのことを愛してるの?」  祖母は頭をたれて私を抱きしめ、泣きだした。この質問は祖母を傷つけたにちがいない。キリスト教は私たち、とりわけ祖母の生活の中心だったからだ。[ヴァンス、p121]
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 西洋社会ではキリスト教信仰が道徳や社会的絆の源泉ですが、それがなくなれば、どうなるか。
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 祖母は、孫に自転車を買ってやるのを拒んだ。なぜなら、自転車は(鍵をかけていたとしても)すぐに玄関ポーチから盗まれてしまうからだ。祖母は後年、玄関のドアを開けるのを怖がった。隣りの家の健康そうな女が、借金の無心にやってくるからだ。のちにわかったのだが、その女性はドラッグを買うための資金を必要としていた。[ヴァンス、p332]
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 ヒルビリーたちの不幸は、生活保護などで物質的な貧しさを解消することでは、解決しません。ヴァンス氏は、高校生の頃、近所のスーパーでレジ係のアルバイトを始め、こんな光景を目にしました。
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 また、いかに多くの人が、生活保護制度を利用してうまくやっているのかを知ることもできた。そういう連中のなかには、フードスタンプ(JOG注: 低所得者向けに支給される食料品を買える金券)で炭酸飲料を2ダース買い、それをディスカウントストアに売り払って金に換える人もいた。・・・
 うちの生活はこんなに苦しいのに、連中は役所から気前よくお金をもらって暮らしている。[ヴァンス、p187]
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 物質的には困らなくとも、未来への希望も志もなく、貧困は政府の責任として、自分は共同体にも属せずに孤独な生活を送り、それを紛らわすために、結婚と離婚を繰り返したり、麻薬に逃避する。これがヒルビリーたちの不幸でした。


■5.日本の幕末の庶民の幸福な暮らしと比べれば

 ヒルビリーたちの不幸な様から、思い浮かんだのは、拙著『大御宝 日本史を貫く建国の理念』で論じた、幕末の頃の庶民の暮らしぶりです[伊勢、p245]。アメリカからやってきた初代駐日公使ハリスは安政4(1857)年11月、初めての江戸入りで東海道を上ると、外人を見ようとする見物人がたくさん集まってきました。その様子をハリスはこう日記に記しました。
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彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。・・・私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。[渡辺京二『逝きし世の面影』]
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 当時の農民たちは物質的には質素な生活をしていましたが、「五人組」という近隣の5戸前後で作られた地縁集団で助け合って生きていました。子どもたちは「村の子」として、寺子屋での手習い、七五三のお祝いなどで、村全体で育てていました。

 初代・神武天皇は即位の際に「大御宝を鎮むべし」、すなわち、民を「大切な宝物」として、安心して暮らせるようにしようと宣言されました。以後、歴代の多くの為政者がこれを実現すべく苦闘してきましたが、幕末の社会がこの理想に最も近づいた時代でした。

 そこでの「大御宝」のあるべき姿は、人々が、

・すべての生きとし生けるものの一部として生かされていることに感謝し、
・それぞれが自分の居場所を守って、互いに支え合う、充実した人生を歩み、
・その「仕合わせ」によって繁栄する共同体を築く

 ということでした。「仕合わせ」とは「する」ことを「合わせる」という意味で、お互いがお互いのために思いやって実現される主体的な幸福です。

 これに比べると、ヒルビリーの人々は、

・自分の貧困は他者のせいだと恨み、それゆえに、
・自らの希望も志も持てず、共同体にも属さず、孤独は結婚離婚の繰り返しや薬物で紛らわし、
・他者への思いやりもなく、喧嘩や犯罪に満ち満ちた社会に堕落する

 という、互いへの思いやりのない「不仕合わせ」な生き方でした。


■6.現代日本にもあるヒルビリー的な不幸

 ヒルビリーは、アメリカ特有の現象でしょうか? 筆者は、前著『この国の希望のかたち』で指摘したように、程度の差はあれ、同傾向の不幸な状況は大都市と過疎に悩む県で起こっていると考えます。都道府県別の幸福度ランキングでは、以下のように大きく二つの不幸なグループが見つかります。

・東北各県 秋田県47位、岩手県46位、福島県と青森県が同率43位
・大都市 東京都45位、神奈川県41位、大阪府31位。

 若者が地方に仕事がなく、大都市に出て行ってしまう、という現象が、この二つのグループの不幸を生んでいます。若者が去って取り残されたお年寄りたちは希望もなく、健康面や経済面の不安とともに生きていかなければなりません。

 都会に出ていった若者たちも多くはアルバイトや派遣などの不安定な仕事しか得られず、結婚もできずに、アパートでコンビニ食を食べながら、孤独な生活を強いられます。こうして少子化と高齢化の二つの問題が、同時に生み出されているのです。

 アメリカに比べれば、我が国は社会の道徳的伝統が残っていますので、薬物や犯罪に走ったり、結婚離婚を繰り返したり、というような極端な現象はまだ少ないのですが、ヒルビリーの人々と同様、希望や志を抱き、共同体に帰属し、自分が一隅を得て役立っていると感じられる生き方はできません。それでは本当の「仕合わせ」にはたどり着けないのです。


■7.国民を「仕合わせ」にするアプローチ

 どうしたら、大都市での若者と過疎地域でのお年寄りを「大御宝」として「仕合わせ」な状態に導くことができるのでしょうか?

 そのアプローチは、拙著『この国の希望のかたち 新日本文明の可能性』でも述べましたが、ここで簡単に述べておくと、まず、経済的な基盤は、過密な大都市と過疎地域の両方とも、良い方向に変わっていくことが予想されます。

・中国に移転して過疎化の一因となっていた企業が国内に回帰し始め、過疎地域での就職口も増加していく。
・食料・資源の輸入リスクが増大し、国内の農林水産業の再生が進む。
・日本の観光資源の豊かさが世界的に評価されつつあり、それによって、地方での観光、ホテル、飲食店などでの雇用機会が増える。
・情報通信と物流の発達により、地方でも大都市と同様の仕事、教育、医療、買い物などが可能となる。

 こうした経済的変化により、今後は若者は故郷で仕事を見つけ、結婚し、子どもを授かる、というライフスタイルがより一般的になるでしょう。大都市の子育て世代も、自然豊かで子育てに適した地方への移住が増えていきます。

 さらに都会のお年寄りも定年後まで大都市にしがみついている意味もなく、生活コストも高い、ということで、先祖の出身地に戻ったり、海や山など自分の好みにあった地方に移住する動きが広まっていくでしょう。こういう形が進めば、列島全体に人口がバランス良く分散して住む、という幕末の社会に近づいていきます。

 残る課題は、人々の意識をこちらの方向に、いかに早く向けていくか、というです。国民一人ひとりが、若者は故郷で就職、結婚、出産・子育てをするのが「仕合わせ」であり、お年寄りも地方に移住して農園を始めたり、共同体を助けたりするのが「仕合わせ」だと認識する必要があります。

 ヴァンス氏は「Make America Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)」をスローガンとするトランプ大統領候補から、副大統領候補に指名されました。当選したら、「偉大な国」から取り残されたヒルビリーの人々を救っていく政策を主導していくことが期待されます。

 それに対し、我が国は国民が自主的に助け合って、互いを「仕合わせ」にしていく、という道が、我が国らしいアプローチでしょう。「大御宝を鎮むべし」という初代・神武天皇の詔の実現に向けて、知恵と力を合わせていきたいものです。

 

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